COLUMN

Post-IPOスタートアップが直面するリスクマネー獲得の課題 —日本の株式市場のあり方に関する試案— Vol.3

2019.02.22

株式市場の再編は、果たしてスタートアップにどのような影響を与えるのでしょうか。 日本の株式市場再編に関する議論について、スタートアップの観点から考える5回シリーズの第3回は、スタートアップの上場後におけるリスクマネー獲得について、現状を整理します。

前回の「事業リスクと市場リスクの2軸で考える株式市場の棲み分け」はこちらをご参照ください。 本コラムの内容は、東京証券取引所主催の「市場構造のあり方等に関する懇談会」におけるシニフィアン株式会社の発表を加筆、修正したものです。

(文責:小林賢治)

市場構成の見直しは新興企業にどのようなインパクトを及ぼすのか

 検討が進められている市場構成の見直しがスタートアップに与える影響を考えるにあたり、今回は日本の新興市場におけるリスクマネー調達の現状について整理してみようと思います。現状を理解することで、成長のための資金調達の場として新興市場が機能するうえで必要な要素が見えてくるのではないかと、筆者は考えています。

 下記の表は、2016〜2018年の間にマザーズから東証1部に市場変更を行なった企業が、IPOから1部指定替えまでにどれくらいの期間を要したかを分析した内容です。対象企業の内、3分の2はIPOから2年以内に指定替えを行っています。また、10%以上の会社は、最短期間である1年で指定替えを行っていることが見て取れます。

 筆者の周囲のマザーズ上場企業の経営者達もよく言うように、「マザーズから東証1部までは一気に駆け抜ける」ことがセオリーになっていることを示す結果と言えるでしょう。

(出所:東証データよりシニフィアン分析)

 下記の表は、マザーズ上場企業のIPO時の平均調達額を示したものですが、5億円前後と非常に低い規模に収斂していることが見て取れます。

日本取引所「市場構造の在り方等の検討に係る意見募集」関連データ集より

 この2つのファクトからも類推できるように、筆者の周囲の新興企業では、マザーズ上場をあくまで1つのステップとし、その時点での調達は限定的な規模にとどめて希薄化を抑え、できるだけ速やかに東証1部に指定替えしたタイミングで調達し直す、という資本政策を考えているケースが少なくありません。また、VCの中にも、IPO時点では株式を売却せず、1部指定替えをイグジットタイミングと見据えて長期で保有するという投資戦略を採っているところもあります。

 東証1部の基準変更によって、仮に東証1部の指定替えまでの期間が長くなる方向に変化するとしたら、IPO時のオファリングサイズ・調達額、マザーズ上場中における市場からの調達、VCのイグジット戦略(これまではIPO時の売り出しで大規模に売却することは非常に稀だった)など、スタートアップの資本戦略全般を大きく見直す必要が出てくることは想像に難くありません。

日本の新興上場企業が直面する厳しい資金調達環境

 「市場の再編によって、IPOや市場変更といった大きなイベントに影響が出るとしても、上場しているのだから市場を介して資金調達なり既存投資家のイグジットなりを行えばよいのではないか」という声もあろうかと思います。ただ、実際には事はそう簡単ではありません。上場企業といっても、新興市場でのリスクマネーの獲得は非常に困難なのです。

 下記は、ITと並ぶ新興企業の代表的セクターであるバイオベンチャーの上場後の資金調達の日米比較です。

経済産業省「上場バイオベンチャーをめぐる 金融市場制度の課題整理」資料6より。2016年のHMT社の案件が「公募」と記載されているが、正しくはエムスリー社等への第三者割当増資である。

 日米ともに、研究開発型の新興企業はおしなべて赤字企業であり、事業リスクも高い傾向にありますが、米国では公募増資によって大きな資金の調達が実現できています。一方、日本の場合は金額規模が小さいだけでなく、実際の入金タイミングや規模が読めない新株予約権型が主体となっていることが特徴です。 (尚、上図はバイオベンチャーの資金調達の事例一覧ですが、IT系企業でもほぼ同様の状況にあります)

 次に、2016年から2018年の間に東証マザーズに上場している企業が実施したパブリック・オファリングの一覧(市場変更を伴わないもの)を見ると、エクイティ・ファイナンスを活用している企業が極めて限られていることがわかります。

各種データベースよりシニフィアン分析。なお、上述の通り、新興市場では公募増資以外による資金調達の実施例は複数ある。

 上図の内、東証1部への指定替えを直後に控えていたじげん社は、分類上は市場変更に近いものと言えるでしょう。また、同社のケースは売出のみであったため、リスクマネーの調達には該当しません。

 そーせい社は200億円超の公募増資を実施しています。ただ、当時の同社の時価総額が2,000億円規模であり、マザーズの雄であったことを考えると、マザーズの最上位に位置するような企業でない限り、このような規模での資金調達は難しいとも言えます。

 ジャパンインベストメントアドバイザーは、航空機リース事業などを主軸として急成長している企業です。もともとB/Sが重たい事業を展開している上に、事業の急成長に伴って急激に総資産が膨らんだため、頻繁にエクイティ・ファイナンスを実施したと考えられます。市場を活用して急成長した好例ですが、2016年からの3年間でこの1社を除くと他に目立った例がないのが実情です。

 新興市場において上場後の資金調達が不活発であることは、日本取引所も今般の開示資料の中で述べている通りです(関連データ集13頁)。

新興市場での資金調達が難しい2つの理由

 このように新興市場での資金調達が難しい要因として、下記の2点が挙げられると筆者は考えています。

1. 事業の見極めが困難な企業群が多い一方で、その評価を個人投資家に依存している

2. 長期的視点のリスクマネー提供が必要にも関わらず、短期志向の投資家が主体となっている

1.事業の見極めが困難な企業群が多い一方で、その評価を個人投資家に依存している

 新興市場では、主に以下の理由から、事業リスクを見極めることがより困難な場合が少なくありません。

1) 新しいビジネスモデルが多く、ベンチマークとなる事例が乏しい(例:SaaS型ビジネスなど)

2) コアとなる技術の評価に専門的知識を要する(例:バイオベンチャーなど)

3) 東証1部・2部の上場企業に比べて事業実績が短く、過去の実績からの将来予測が難しい

4) 東証1部の企業群に比して開示情報が限定的な企業が多い

 産業育成のためには新興企業に対するリスクマネーの提供が重要であるという立場に立った上で、こうした状況を鑑みれば、専門的な知識を有する投資家がより積極的に売買に関わっていくのが本来は理想です。ところが、実態はその逆となっているのです。

日本取引所データより

 上記は、取引主体ごとの株式売買のシェアを示した表です。実績のある企業が多く集まる東証1部にプロの機関投資家の資金が集中し、より高度な見極めを要する新興市場に個人(=非専門家)の資金が集中する、というはっきりとしたコントラストが見て取れます。

 これに対して、海外市場では、事業評価の難しい新興企業(特に赤字が続く研究開発型企業)の見極めに際して、プロである機関投資家等の企業評価を受けて投資を受けていることを要件としているところもあります。

日本取引所「市場構造の在り方等の検討に係る意見募集」関連データ集より

 これらを鑑みても、個人からの評価に依拠する日本の新興市場の今の状況は非常に特異であると言えます。端的に言って、日本の新興市場は「プロの評価者不在」の状況なのです。

2.長期的視点のリスクマネーが必要であるにも関わらず、短期志向の投資家が主体となっている

 株式の売買がどのぐらい短期間で行われているかを示す指標が「売買回転率」です。ある一定期間の売買代金を時価総額総計で割った数値であり、この数値が高いほど売買の回転頻度が高く、保有期間が短いことを示しています。

日本取引所データよりシニフィアン分析

 日本はもともと欧米より株式売買の回転率が高い傾向にありますが、その中でも新興市場、特にマザーズの売買回転率は突出しています。

 売買回転率が高いことは、一見すると流動性が高いという意味にも思えますし、ポジティブにも見えます。一方で売買回転率は、一部の投資家が高頻度に売買を繰り返す状況でも数値が高くなります。マザーズの場合、創業者の持分が高く、市場に出回る株式の比率が低いにも関わらず、これだけ売買回転率が高いということからは、一部の投資家たちの間で少数の株式が高頻度に取引がされていることが推測されます。これがデイトレーダーなどの個人によるものなのかどうかは明言できませんが、少なくともマザーズが「突出して短期志向の投資家向け」の市場であることは間違いありません。

 その一方で、事業が安定成長に入る前段階の成長企業が多く上場しているマザーズには、より積極的に事業への先行投資を行う企業が多数存在します。バイオベンチャーなどの研究開発型企業やSaaS型企業の場合、投資回収に数年単位の期間を要するのが一般的です。こうした成長投資が実際に成果として表れるまで、投資家サイドも相応に長い目線で事業を捉える必要があるのです。しかしながら、実態はそれとは程遠い状況になっているのです。

新興企業へのリスクマネー提供をいかにして強めるか

 これまで述べてきたとおり、日本の新興企業の資金調達環境は、決して恵まれたものとは言えません。未上場企業へのリスクマネー提供が少ないことがしばしば議論の的になりますが、上場している新興企業にとってもなかなかに厳しいものです。政府の成長戦略である「未来投資戦略2018」では、イノベーション創出の一環としてベンチャー支援の強化が謳われていますが、これは決して未上場企業に限られた話ではなく、「第四次産業革命に向けたリスクマネー供給に関する研究会」でも議論されたとおり、未上場から上場後までをも包含した、スタートアップ育成のための繋ぐエコシステム全体の強化に他なりません。

 未上場企業への投資環境の整備に合わせて、新興市場の課題にも目を向け、専門的な審美眼を持った長期投資家が有望企業にリスクマネーを提供しやすくなるような環境を整備していくことは、新興企業が世の中に大きなインパクトを与える企業へと成長するプロセスにおいて不可欠なことであると、筆者は考える次第です。

第1回:スタートアップ関係者のための、株式市場再編に関する論点と影響 —日本の株式市場のあり方に関する試案— Vol.1

第2回:事業リスクと市場リスクの2軸で考える株式市場の棲み分け —日本の株式市場のあり方に関する試案— Vol.2

小林 賢治

シニフィアン株式会社共同代表 兵庫県加古川市出身。東京大学大学院人文社会系研究科修了(美学藝術学)。コーポレイト ディレクションを経て、2009年に株式会社ディー・エヌ・エーに入社し、執行役員HR本部長として採用改革、人事制度改革に従事。その後、モバイルゲーム事業の急成長のさなか、同事業を管掌。ゲーム事業を後任に譲った後、経営企画本部長としてコーポレート部門全体を統括。2011年から2015年まで同社取締役を務める。 事業部門、コーポレート部門、急成長期、成熟期と、企業の様々なフェーズにおける経営課題に最前線で取り組んだ経験を有する。