INTERVIEW

【諸藤周平】東南アジアに複数の新しい産業を創る、REAPRAの挑戦 Vol.4

2017.12.18

東南アジアを中心に、次々と複数の事業領域の開拓を進めている諸藤さんに、エス・エム・エスの創業秘話、REAPRAでの活動についてお話を伺うインタビューの第4回(全4回)。前回の記事はこちらです。

諸藤周平(もろふじ しゅうへい)

株式会社エス・エム・エス(東証一部上場)の創業者であり、11年間にわたり代表取締役社長として同社の東証一部上場、アジア展開など成長を牽引。同社退任後、2015年より、シンガポールにて、REAPRA PTE. LTD.を創業。アジアを中心に、数多くのビジネスをみずから立ち上げる事業グループを形成すると同時に、ベンチャーキャピタルとして投資活動もおこなう。個人としても創業フェーズの企業に投資し多くの起業家を支援している。1977年生まれ。九州大学経済学部卒業。

(ライター:福田滉平)

複雑なことを複雑なまま管理すること

朝倉祐介(シニフィアン共同代表。以下、朝倉):REAPRAは東南アジアで新しい産業を立ち上げることをミッションにしているそうですが、エス・エム・エスをお辞めになったあと、こちらはどういった経緯で立ち上げられたのでしょうか?

諸藤周平氏(以下、諸藤):自分で作ったエス・エム・エスを辞めることを決め、次にやることを考えていたのですが、考えても整理がつきませんでした。「このまま、ズルズルと会社に残ってしまうとヤバイな」と思ったので、とにかく、物理的に戻ってこれないように体を遠くに移動させるしかないと、シンガポールに飛び、2年かけてやりたいことを見つけようと考えました。 最初のうちは、VCをやってみようと思ってたんですけど、東南アジアのベンチャー投資でファイナンシャルリターンを取ろうとすると、究極は、優秀な人がやっているできたばかりの企業にばらまくか、ソフトバンクやアリババが買ってくれそうな会社に目をつけて投資するブローカーのような仕事のどちらかという状態になってしまいます。 自分は、複雑なことを複雑なままマネージすることに知的好奇心があり、それを一貫して実践してきました。ブローカーのような単純な仕事は、最もやりたくないし、できないことでした。 エス・エム・エスを去ってからVCを始めることもままならず、「自分は一体何がしたいんだっけ?」と自意識ばかりが高くなりすぎて、痛々しい人になってしまい、なかなか答えが出せませんでした。 50歳を超えて全く新しい事業を創っていくのは厳しいと考えているので、ゼロからチャレンジできるのは、あと十数年。そう考えると、なかなか一歩を踏み出せなくなっていたんです。

朝倉:日本や欧米ではなく、東南アジアを次の舞台に選んだのはどうしてだったのでしょうか?

諸藤:兼ねてから考えていた、複雑なことを複雑なまま管理すること。この複雑性という点では、東南アジアという土地柄は合致してるなと思ったんです。 肝心なのは、東南アジアで何をやるか。辞めた当初は、インパクトは追わない事業をしようと考えていました。スケールは追わないと。しかし、プレイヤーとしては残り十数年と決めて、新しく始めたことが、仮に3年後にはマーケット構造の壁で成長しなくなったとしたら、「俺の3年分の時間を返せ」と思うでしょうし、結局は後悔してしまうだろうと思ったんです。つまり、頭で考えている以上に、体にインパクト思考が染みついていて、小さくてもいいとは全く思っていなかったのです。 だったら、事業のN数を30くらいにすれば、一定の成功確率で、将来大きくなるけど複雑性が高く、どうなるか読みづらい市場の中から良い事業を引き当てる道筋が見えるんじゃないかと思ったんです。 東南アジアは、マクロでは年5-6%伸びています。伸びるマーケットで30個も事業をやって、一発も当たらなければ相当なアホなので、それだったら、さすがに納得できます。

小林賢治(シニフィアン共同代表。以下、小林):「複雑性」という言葉が諸藤さんのキーワードになっていますが、この「複雑性」というのは、諸藤さんにとってはどういった定義なのでしょうか?

諸藤:定義はすごくシンプルで、関与変数が多く、事前予測が難しいことだと思っています。 世の中に複雑性をマネージしたいという組織はほとんどないのでしょうが、僕としては複雑性をマネージしたいと思っています。長い時間軸で見ると最終的には何かの形にはなるものの、事前には仕上がりが読めず、やりながら経験学習することを要する事業のほうがいいと考えているのです。 たとえば、関与者の変数が多くて、行政の方針一つで事業の方向性が変わる可能性があるとか、消費者のリテラシーが影響するなどです。その最終形を時間軸で現在に戻すと、何かしらキャッシュフローが回る領域があり、そこで事業を行いながらインサイトを得て、複雑性を時間軸の中でコントロールしながら、より大きな塊の事業に育てていくということに挑戦したいのです。

自分は何をすべきか。やっと見つけた答え

朝倉:そうした「複雑なものを複雑なままにマネージしたい」という思いがREAPRAでの活動につながるわけですね。

諸藤:そうです。投じる基礎スキルセットはエス・エム・エスで得たものの焼き直しですが、フィールドのN数を増やしていく。そして、ジェネレーションを繋いで、100年、200年と産業領域自体をガバナンスも含めて変えていくことを目指しています。 僕が50歳まで関わる10数年間は、産業領域のテーマをしぼり、リージョンは東南アジア。かつ、種銭と、確立した計画、足場を固めたリージョンをいくつか作って、財務的余力とビジネススキルを次の人に引き継いで渡そうと考えています。

朝倉:100億円をかけて、3年間で3億円の会社を30社作る計画と仰っていましたよね。

諸藤:当初はその計画だったのですが、実は今は、少し変わっています。 当初考えていた、30領域にそれぞれ1社ずつというのを、今は20領域くらいに減らして、代わりに、領域毎に入り口を1社に絞らず、5社から10社くらい作り、その中から1社が大きくなる、もしくは統合したりして、マーケットリーダーを作るほうがいいんじゃないかと考えています。

朝倉:経営には諸藤さんが、直接ハンズオンで関わっていくのですか?

諸藤:当初2年は様子見で何もせず、今年からはハンズオンサポートを開始しています。全てが産業を作ることの研究と実践なので、当初の10年は東南アジアワイドの会社をつくる研究実践として取り組んでいます。 行っていることとしては、プロミシング・インダストリー(有望な産業)を選ぶためのリサーチチームを作り、そのチームとディスカッションしながら、一般化した型を実践して作っています。このディスカッションを通して、ある産業領域の成長が確実ではないかと目星をつけると、具体的な事業テーマを話し、経営者を雇って事業化します。事業価値が高すぎない会社があれば資本参加もして、僕らもハンズオンしながら、型化していくということを、試行錯誤しながら進めています。 ただ、我々のハンズオンサポートの型には、日本の商習慣に則ったアナロジーが強固に入っているので、それをいきなり東南アジアに入れると、むしろマイナスの効果を出す可能性があります。なので、これからのフェーズでは様子見するのではなく、どんどん会社を作っていこうと考えています。 加えて、今までにも日本で個人的に手伝ってきた会社があるのですが、そこが東南アジアでの一般化に活用できる気がしてきたので、むしろ日本で時価総額1,000億円程度の事業会社を量産するという試みを型化し、それを並走させて、東南アジアにアダプトさせようと考えています。 日本と東南アジアの2つで、並行して取り組むことによって、東南アジアのスケールノウハウを得やすくしようという考えです。

朝倉:個々の会社を経営する人材が数多く必要になると思いますが、経営者については、どういった人物像がREAPRAの目指す方向なのでしょうか?

諸藤:我々はハンズオンサポートの型を作る中で、理想的な経営者の要素を規定していて、それを経営者の採用、育成に活用しています。会社の利益を上げていくために、あらゆる事象から施策を想起する力を「ビジネスアナロジー」と呼んでいて、そのアナロジーを高めるための行動を「コーゼーション」と「エフェクチュエーション」という二つの概念に分けています。 「コーゼーション」というのは、経営コンサルタントがやっているような、未来は予測・分析できるものという前提に立ち、分析的に何かを見つけるという力。「エフェクチュエーション」というのは、未来や市場は予測できず、作っていくものという前提に立ち、まず行動を起こして、その時に、周りの人を巻き込んで何かを作り出せる力です。 REAPRAがフォーカスしている領域で、新しい事業をゼロイチで立ち上げる経営者は、領域の複雑性が高いが故に、行動ファーストに動き、巻き込んだ人を通して機会を紡ぎ出すことが重要だと考えています。ある程度、キャリアを積んでいる人は決まった成功体験を元に行動を規定しているので、よりその行動がコーゼーションになりやすいと思っています。一方で、複雑性の高いマーケットでは、マーケットのインサイトもない状態で、行動を起こさずに分析的に事業機会を見つけることが極めて難しいのです。そういう観点から考えると、若い人が行動ファーストにまず事業を作り、事業が大きくなるにつれて、兼ね備えている知性を元に事後的に分析的なスキルを得ていくことが理想的だと考えており、今はそういう人材を求めています。

朝倉:今、目星を付けられている産業領域はありますか?

諸藤:東南アジアで言うと、例えばアビエーション(航空機産業)。別に飛行機を持つわけではなくて、航空機の二次流通だったり、航空人材の流動化だったりです。でも、最終的に全てを持つことができれば、コングロマリット化もできるのではないかと思っています。他には、農業×ITや教育などで、今14個くらいの事業を見ています。 日本のほうは、もうちょっとマーケティングリサーチをして、「確実にこれはやれるだろう」という領域を今考えているところです。

結果を出すしかない、今が楽しい

小林:今日、お話を聞いていて諸藤さんは「メタ認知の鬼だな」と思ったんです。世の中にはなんでも型にはめたがって、本当は少し違うのに、「こういうもんでしょ」と自分の視点でものごとを捉えてしまう人が多いと思うんです。そういう人は、綺麗に型を語っているけれど、メタ認知力がないなと。諸藤さんのように、やられている事業の複雑性が高いと、メタ認知力がめちゃくちゃ必要なんだなと思ったんです。

諸藤:実は、「メタマルチ」と呼んでいるハンズオンのパッケージがまさにそうです。 これは、事象を抽象化し多面的にアプローチすることで、一個の事象から5個の施策を出すというもので、日常バージョンやインシデントバージョン、クライアントバージョンなどがあって、それをデイリーのメルマガなどで事例として紹介し、メタマルチを起こしてもらうというものです。

朝倉:最後に、エス・エム・エスを経営していらした頃と現在を比べて、経営者としての視点では、どういった点に違いを感じているか、教えていただけますか?

諸藤:「エス・エム・エスはたまたまラッキーだったから成長することができたのか」を、これからの活動を通して検証したいと思っています。もう一回ゼロから検証しないといけないということで、地理的に全く違う場所に行き、なおかつ、拡張性があって市場が伸びるところでやりたいということで、東南アジアに来ました。幼稚園児みたいな英語しか話せないのに、日々直面するチャレンジが多すぎて、そもそも何も起こせないんじゃないかという不安もあるのですが、「結果を出すしかない」というコミット感があるので、今は楽しいです。

雇用するスキームも自由にあって、伸びる場所(市場)もあって、数も多くて、「これで結果を出せないと、すげえやばいな」という緊張感があります。なので、今について言うと、楽しいですね。前のほうが良かったと思うことはないです。

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