INTERVIEW

【諸藤周平】ベンチャーは大企業よりも「人材が育つ」という誤解 Vol.3

2017.12.17

東南アジアを中心に、次々と複数の事業領域の開拓を進めている諸藤さんに、エス・エム・エスの創業秘話、REAPRAでの活動についてお話を伺うインタビューの第3回(全4回)。前回の記事はこちらです。

諸藤周平(もろふじ しゅうへい)

株式会社エス・エム・エス(東証一部上場)の創業者であり、11年間にわたり代表取締役社長として同社の東証一部上場、アジア展開など成長を牽引。同社退任後、2015年より、シンガポールにて、REAPRA PTE. LTD.を創業。アジアを中心に、数多くのビジネスをみずから立ち上げる事業グループを形成すると同時に、ベンチャーキャピタルとして投資活動もおこなう。個人としても創業フェーズの企業に投資し多くの起業家を支援している。1977年生まれ。九州大学経済学部卒業。

(ライター:福田滉平)

上場後、人材マネジメントに開眼

朝倉祐介(シニフィアン共同代表。以下、朝倉):エス・エム・エスの事業の立上げ期と、人材紹介ビジネスが大きく育っていく時期、上場して事業の幅が広がり規模を拡大していく時期、それぞれ経営の課題やスタイルは違ったと思うのですが、特に変わった点を教えていただけますか?

諸藤周平氏(以下、諸藤):2008年に上場したのですが、そのタイミングで、人を育成できていなかったことに気付いたんです。起業した当初は、事業を始めてから2~3年で辞めようと思っていたので、自分の後を継いでもらう経営者的な人を量産しないといけない、という意識はありました。 でもそれに対して、当時は会社の存在意義のみを定義していて、ミッションからビジョン、戦略へのブレークダウンもしてないのに、なぜか「みんな、自分の考えを分かっているだろう」と思いこんでいました。会社経営を形式知化せずに、全体の意思決定を自分の頭の中で統合して、1人で回そうとしていたんです。 そうすると、会社の方針の前提やプロセスを共有しないままに決定事項だけを伝えることになるので、事業創造や育成はできても、テコ入れは自分でやらなきゃいけないという状況になってしまっていました。この状態のまま、プロダクトが10個を超えて、かつ、上場まで行ってしまいました。その結果、みんなテンションは高いんだけど、本来育成されていれば能力の上がっていた人達に対して、育成の機会を提供できないままになっていたんです。 そこで、なんとかしようと、人材コンサルタントに「どうして人が育てられないのか?」と聞きに行くと、「そもそも会社のビジョンや戦略はどうなっているんですか?」と逆に尋ねられました。「中期経営計画は、だいたい前年比2倍で引っ張っている」と答えたら、「それでどうやって、人が伸びるんですか?」と指摘されて、すごく腹落ちをしたんです。 「会社の存在意義だけ定義して、10年後にどうなりたいという姿もないのに、人を育成できるわけがない」と言われ、まずいことをしてしまったと初めてそこで気づいた。改めて、経営者になれる人を育成しないといけない、と思いました。

朝倉:私は新卒でマッキンゼー・アンド・カンパニーで経営コンサルタントとして働いていましたが、2008-2010年頃は常にエス・エム・エスが経営コンサルタント出身者を募集していた記憶があります。

諸藤:実は当初、理想的な経営者として、「ビジョン、戦略を作ることができて、理解でき、実行し、推進できる人」という人物像を考えていたんです。 しかし、エス・エム・エスで実際にやることは中小企業の社長業務の委譲であり、その候補となる人材はマーケットに広く募集をかけたところで採用できない。どうしようかと考え直し「戦略が理解でき、自分の事業を作りたい人 」と定義し直して、ポテンシャルベースで採用することにしました。こうした人材が、戦略系コンサルティングファームから採用できるのではないかというのが、当時、求人を進めていた背景です。 しかし、そうやって戦略コンサルの人たちを大量採用したら、今度は、組織全体がどんどんカオスな状況になっていきました。 コンサル出身の人たちからは、10人いれば10通りの定義で戦略について語られるし、「社長が話す内容の意味がわからない」「論点ベースで話せていない」などと言われ、古くからいた人には、「エス・エム・エスは戦略コンサルの人しか出世できないんですね」「会社が変わった」と言われ、全然ハンドリングできなくなってしまいました。 もともと、複雑なものを複雑にマネージするということに興味があり、自分ではエス・エム・エスでそういったマネジメントがいくらかできていたと思っていたのですが、個々の事業については比較的シンプルに自分で構想し、その後の運営を人に任せる形で、ギリギリまで引っ張ってきていたんです。こうしたやり方が、この時に全部瓦解してしまった。組織はガタガタになっていき、そこから人材マネジメントの重要性を見直しました。

地獄に落ちないための引き際の作り方

諸藤:加えて、当時はすでに、起業前に自分のベストシナリオとして掲げていた「35歳までに3億円を稼いでリタイアする」という目標を達成できていたのに、気がつくと社長を辞めたくないという気持ちが大きくなっていました。 自己分析すると、過去に学校で表彰されたこともないのに、起業すると上手くいったこともあって、めっちゃ楽しかったんですね。感覚的には全く辞めたくない。だけど一方で、「3億円でリタイアする」って言っていたのに、実際辞めない人ってどうなんだろうとも思っていましました。自分の言っていたことすら貫徹できない人間なんてどうしようもないと。 エス・エム・エスの事業を振り返ってみると、ふと、自分はたまたま最初に当たった宝くじにしがみついているだけなんじゃないかとも思いました。ラッキーで良い事業に良いタイミングに巡り合っただけなんじゃないかと。日本では家電やメーカーに伝説の経営者が多いですが、これは偶然ではないと僕は考えています。家電が伸びる領域だったからこそ、その領域にいた会社の経営者が「伝説の経営者」として祭り上げられているんでしょう。基本的に伸びる領域では、サバイバルレースはあるにせよ、放っておいてもマーケットは伸びるわけで、長い目で見ると自動操縦感があるんじゃないかと。僕がエス・エム・エスを経営していたときの感覚もそうなんですね。 戦略も組織にシェアできていない状態で上場できているのは、ラッキー以外の何物でもないですし、楽しいから惰性でトップに居座り続けている経営者の下で、僕だったら働きたくない。加えて、自分の未来を自分で作ろうと思って起業したのに、自動操縦状態の会社にいるということは、それと逆のことをやっているんじゃないかと思ったんです。 でも、エス・エム・エスの経営者を続けたい気持ちが強過ぎたので、「3億円を35歳までに稼いでリタイアする」という目標を、「3億円、もしくは35歳になったらリタイアする」に変え、 「これで辞めなければ地獄に落ちる」と思って、辞める期限を自分で切りました。

朝倉:地獄には、落ちないと思いますよ(笑)。

諸藤:そもそも、どうして経営者人材の育成や採用といった人材マネジメントを、自分はこんなにも気にしていなかったんだろうと思い返してみると、日本の大企業は、人材マネジメントがうまくないと直感的に思っていたことの裏返しなんだと思います。 つまり、「ベンチャーはテンション高くやっている」=「大企業よりいい」という単純な二項対立でスタートアップと大企業を捉えてしまっていたために、根拠のない自信があって人を育成できていなかった。放っておいても人は育つと思っていたんです。 しかし、グローバルで成長している企業の人材マネジメントを見てみると、CEOのパイプラインを伏線的に作るなどの施策を意図してやっていることが分かったので、レベル感は低くても、同じことをやるべきだという結論に至りました。

機会を作れば雇用は流動化する

諸藤:日本で経営を担える人材がなかなか生まれないのは、雇用の流動性が担保されていないことで、いろんなものが逆回転してしまっていることがネックになっていると思います。そこで、経営者に足る人材を会社で育成するには、市場競争力をつけながら、経営者の役割を担える機会を作ればいいのでは、と思い至りました。 実際に事業を任せてみたら、明らかに自分で以前やっていたときよりも会社の状態が良くなったんです。GEなど、ジェネレーションを跨いで産業領域までトランスフォームしていきながら、100年、200年と続く企業は、ガバナンスの観点でどうなっているのかも研究し、エス・エム・エスのサイズに合わせて、できることをやっていきました。

朝倉:それで人材育成はうまくいったんですか?

諸藤:はい、以前よりは。それ以前よりも視野が広がり、社員にも機会を提供できるようになりました。これは、いいんじゃないかと思った一方で、僕は、確実に辞めないといけなくなりました。このまま残り続けると、自分で自分のクビを締め続けることになるので、その時に、社長を辞めようと決意したのです。 社外からは、自分が辞めると会社がダメになると言われることもありました。たしかに、サラリーマンの会社と、アントレプレナーが自由にやれる会社を比べると、伸びる領域でアントレプレナーがワンジェネレーションで創業からの50年をやりきったほうが、期間収益が伸びるに違いないでしょう。 それはそれですごく価値があるし、素晴らしいことですが、マクロ的に見ると、雇用が流動化することは社会的にも意味がある。その流れが今後の日本にも来るはずだという思いもありました。 だから、辞めることを決めた当初は、どういう風に会社を引き継ぐかに集中していたのですが、世の中の他の会社を見渡してみると、辞めた後に自分のやりがいが見つからず、創業者がまた会社に戻るといったパターンがあることに気づきました。だから、次の目標探しに重心を移していきました。

朝倉:勇退したはずの社長が戻ってくる事例は多くありますよね。

諸藤:周りの人からも、「出戻るようなことになったら、会社にとってよくない」と言われることも多かったです「完全に辞めるって言ってるじゃん!しつこいな」と不快に思うこともあったんですが、こんなふうに感情的になっている時点で、辞めることに対する自分の不安を物語っているなと思いました(笑)。 そこで、自分のやりたいことを早く見つけなければと、次にやることを考え始めたのです。

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