【諸藤周平】事業を成功させた「何者でもない」というコンプレックス Vol.2

東南アジアを中心に、次々と複数の事業領域の開拓を進めている諸藤さんに、エス・エム・エスの創業秘話、REAPRAでの活動についてお話を伺うインタビューの第2回(全4回)。前回の記事はこちらです。

諸藤周平(もろふじ しゅうへい)
株式会社エス・エム・エス(東証一部上場)の創業者であり、11年間にわたり代表取締役社長として同社の東証一部上場、アジア展開など成長を牽引。同社退任後、2015年より、シンガポールにて、REAPRA PTE. LTD.を創業。アジアを中心に、数多くのビジネスをみずから立ち上げる事業グループを形成すると同時に、ベンチャーキャピタルとして投資活動もおこなう。個人としても創業フェーズの企業に投資し多くの起業家を支援している。1977年生まれ。九州大学経済学部卒業。

(ライター:福田滉平)

不要な資金調達でマジョリティを失う

朝倉祐介(シニフィアン共同代表。以下、朝倉):創業当初は高齢者住宅の流通を目論んでいた諸藤さんですが、その後、人材のマッチング業に至ったのは、どうしてだったのですか?

諸藤周平氏(以下、諸藤):会社を辞めて独立したタイミングでもう一回、何を事業にするか、1カ月かけて決めようとしたんです。その時に出たアイデアの1つが人材紹介ビジネスだったんです。
シルバービジネスでの事業機会を探っていたところ、高齢者住宅専門の土地情報のマッチング会社が「人が足りていない」と言っていたので、人材業を手伝うのがいいじゃないかと考えました。その時、メンバーが6人いたのですが、半数ずつに分かれて土地情報のビジネスと人材紹介ビジネスについて、それぞれ1ヶ月間をかけて調査をしてみることにしました。すると、3日もしないうちに、人材のほうがいいということがわかったのです。
土地情報は一件手掛けて数億円とリターンも大きい分、リスクも高いので、結局、他の事業をやらなければならない。一方で、人材紹介は一回のリターンは低くても取引回数が多い。一旦は、人材紹介がいいんじゃないかという結論に至りました。

朝倉:具体的にはどのように人材紹介の事業を始められたのでしょうか?

諸藤:当初は方法論すら、ネットなのか、リアルなのか、何も決まっていなかったのですが、介護業界は人が足りないので職種も特定せず、とにかく集客して事業者に何かしらの方法で紹介する、ということだけは決めていました。法人向けに営業したところ、ニーズは強いので、どんどん契約を取ることができました。
契約していく中で分かったのですが、求人広告で得られる収入と、人材紹介で得られる収入では、人材紹介のほうが圧倒的に高かったんです。加えて、職種で見ると、ケアマネージャーは70万円のフィーをいただけて、介護職がざっくり7万円。かかる工数は変わらないのに、原価が同じで出口の売上が数十万円違いました。
そこで、まずはケアマネージャーに集中して人材紹介をやったらいいんじゃないかと考え、1カ月くらいやってみたところ、キャッシュフローが回り始めました 。ところが、その年の10月ごろ、上場やファイナンスの知識がなかったために、資本政策で相当やばいことをやってしまいました。そもそもキャッシュフローは回っていて実は一切お金はいらなかったのに。

朝倉:「やばいこと」というと、どういった?

諸藤:介護事業を知るために、介護で上場した会社に電話して「ライセンスを頂けたら、御社よりも絶対高い利益率で回すので、やらせてください!」という問い合わせをしていたんです。そうしたら「介護事業はやらせてあげないけど、お金は出すよ」と言ってくださる企業があったんです。
もらえるものはもらっておいたほうがいいのかなと思って、資金を提供してもらったのですが、実は当時の会社の資本金が1000万円のときに、その会社から転換社債で3000万円のお金を出してもらって、マジョリティを失うという、危険なファイナンス行為をしていたんです。
そのことに気付いたのも、「これは、一期で締めたら上場できるんじゃないか?」と思って、監査法人に聞きに行ったときでした。「そもそも、あなた、(持ち株の)マジョリティないんですよ。分かっていますか?資本政策はどうなってるんですか?」と言われ、初めて転換社債の意味を知ったんです。
その介護会社は、サポートしようと100%、善意でお金を出してくだっていたので、実際にそのあとに「マジョリティを持ちたいので」と言ったら、社債を買い戻しさせてもらえたのでよかったのですが。ファイナンス上はボロボロでした。

まず作った参入障壁。類まれなるメタ認知能力

朝倉:2008年に上場されるまでに、エス・エム・エスは事業をいくつか増やしていますよね。どうして、そうした早い段階で多角化されたのですか?

諸藤:売り上げを拡大したかったわけではなくて、参入障壁を作らないとすぐにライバルにやられる、という恐怖心から、隣接領域の事業を増やしていったんです。
参入しそうな会社が取り組まなさそうで、参入障壁になりそうなもの。そしてシナジーの多いものから、徐々にマーケットの大きなものに、介護業界のケアマネージャー紹介業からはじめて、3カ月ごとにプロダクトを増やしていきました。

小林賢治(シニフィアン共同代表):事業をやっていると、自分の都合のいいように自己の競争力を解釈しがちだし、実は他社でもできるのに、「俺にしかできない」と思いがちで、自社の実力を客観的に評価しづらいものだと思います。危機感から参入障壁を築いたとのことですが、自社の状況を把握するにあたって、意識していた点はあったのでしょうか?

諸藤:もともと、事業を始める前の段階から、「自分は何者でもない」という自己認識があり、「ポジションが自分にはない」と思っていました。
このコンプレックスから、幼少期から「複雑な現実を複雑なままに見たい」という考えを持つようになりました。逆に、単純化した見方は不快であり、気持ち悪い。自分は絶対にそうなりたくないと思っていました。なるべく感情を排除して物事を見るということが、好きな気質だったんだと思います。
加えて、小さい時から批判的に物事をみる癖がありまして。その状態が客観性を担保していたのかなと思います。

これは頭の悪さも手伝っていたんですけど、ケアマネージャーの紹介で収益が出たときは、「そもそも法律を破っているんじゃないか」と心配になって法律を確認し、破ってなさそうだと分かると、今度は「なんで儲かるんだ?儲かるなら、これはリクルートがやるはずだ」と思ってまた調べました。マーケットサイズを過剰に認識していて、リクルートなんて絶対こないのに、恐怖心は過剰に持っていましたね。

村上誠典(シニフィアン共同代表):マーケットを見てから自分の立ち位置を見る、というアプローチ。普通の経営者は自分の立ち位置からマーケットを見がちですが、逆向きの視点が結果にうまく繋がっていったんですね。

諸藤:謙遜しているわけではなく、「自分は何者でもない」という前提が常にあったんです。また、事業を広げていく中で、介護業界にも、ベンチャーキャピタル(VC)から資金調達していきなり大がかりなシステムを作る会社もあったのですが、それが凄いことなのかも分からなかったですし、絶対ワークしないんじゃないかという感覚がありました。実際にその会社はワークしなかったんです。
どうして、いきなりシステムをつくる会社がワークしなかったのかというと、介護業界は、行政の動向と、実際の介護事業者の動向と、ユーザーのリテラシーが複雑に絡み合うので、それらを事前に一つのシステムに差し込もうとしてもうまくいかないからです。それなのに、他の会社は技術に自信がありテクノロジードリブンで資金を調達して事業を進めていたので、システムは完成するんだけど、うまく顧客を集めてそれを活用してもらえないままに死んでいくんですね。
逆に、うちの会社は、テクノロジーを知らなかったので、テクノロジーそのもので何かビジネスをしようとは思わなかった。ただ単に顕在化しそうなニーズにビジネスとして取り組んで、最終的に必要に応じてテクノロジーを取り込んでいった感じです。
もし仮に、介護領域が当初からテクノロジーで席巻されるような事態になっていたら、うちの会社は、その場で終了だったと思うんです。だけど、たまたま介護というテクノロジーがそぐわないマーケットに、自分の気質とスキルの無さがマッチした。そういった、偶発的なものだと思います。

既存のVC投資のモデルにははまらない

朝倉:エス・エム・エスは2017年時点で13期連続の増収増益で成長しています。うまく良いサイクルに入れたというのは、やはり、マーケットの選定が良かったからなのでしょうか?それとも場を広げていくことに成功したからなのか。何が、成長の要因なのでしょうか?

諸藤:ほとんどの起業家は自分たちの事業がスケールする前提で事業を始める一方で、エス・エム・エスの場合は知識がない状態から、キャッシュフローを獲得してマーケットインサイトを得てから事業を広げていった、というのが結果的に良かったのではないかと思っています。
僕の理解では、将来大きくなる潜在的な市場は、その複雑性から当初は顕在化している市場が小さすぎるので、大企業が収益を確保しながら参入できるだけの余地がない。また、そうした市場は、事前予測でのシステムアプローチをしようとしてもスケールしないために、Uberのようにワンプロダクトで突き抜けられない。単品のビジネスモデルだと、参入する旨味がないんです。高齢者向けの市場はまさにそれで、僕らにとっては幸運だった。

朝倉:高齢者向けの市場は、マーケットの条件として、大手が仕掛けづらいけれど、不確実性が大きく、それでいて将来大きくなる可能性がある、スタートアップにうってつけの市場だったということですね。ですが、世の中の多くのスタートアップは、ワンプロダクトで大きく成長していくことを前提としており、VCもそうしたストーリーに投資するとなると、従来のVCやスタートアップの発想だと、エス・エム・エスのような事業は創りづらいのかもしれませんね。

諸藤:起業家にしても、日本の場合、基本的にアメリカの事例をパクったワンプロダクトで上場できちゃうじゃないですか。何がアメリカのパクリでやれて、何ができないのか。それも、サイクルが回った段階で、VCからお金が付くか。多くの起業家は、そういう発想で事業を手がけていると思うんですね。そっちのほうがリスクは限定できますし、合理的に考えると、みんなそうなります。それがVCの役割や、若い起業家の役割になっているのではないかと思います。
同時に、そうやってワンプロダクトで上場した会社は、事業領域にフィットしなくなって、次に行けなくなることが多いとは思いますが。

朝倉:そこからの柔軟性がないと、時価総額100億円まではたどり着くことができても、メガベンチャーにはなれないでしょうね。

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