シニフィアンの共同代表3人による、企業の成長フェイズにおける「ステージチェンジ」をテーマにした放談、閑談、雑談、床屋談義の限りを尽くすシニフィ談の最終回(全8回)。前回はこちら。
(ライター:福田滉平)
ステージを変えるには、「人を動かす」
村上誠典(シニフィアン共同代表。以下、村上):非連続なことをやろうとすると、絶対に人材が重要なんですよ。それは外部登用もそうだし、M&Aで買収した会社役員のリテンションもそう。自分の国や既存事業でそうした人材が出てこないから、じゃあ外部だとなっても、そういう組織や文化だとそもそも外から上手に人材を引っ張ってくることも苦手だったりして。異文化の優秀な人材の場合、マネジメントはなおさら難しいと思います。
朝倉祐介(シニフィアン共同代表。以下、朝倉):なだらかにオペレーションしなければいけないタイミングは番頭さんでいいと思うんですけど、本当にドラスティックな変化を起こさないといけないときって、経営ってめちゃくちゃ重要でしょう。かつ、経営って「賢い」「賢くない」とは別次元の胆力も求められるよなと。 そんな中、ソニーの経営チームは、あれだけ風当たりが強かった中、素晴らしい健闘をなさっていると見受けます。
小林賢治(シニフィアン共同代表。以下、小林):最初は揶揄する声もありましたが、確実に結果を出してらっしゃいますよね。
村上:平井社長は人を動かしますよね。最も際立っているのが、So-netから吉田さんをCFOとして引き上げたことでしょう。今の経営改革も吉田さんなしにはあり得なかったわけですから。ソニーがステージチェンジしたという、1つの事例になるかもしれない。
人材を入れ替えて爆走成長したヤフー
朝倉:人が替わってステージが変わったという事例で言うと、我らがヤフージャパン。
小林:だって井上さん時代、16期連続増収増益ですからね。
朝倉:そう。昔の体制でも業績面では十分に素晴らしい会社だったのに、そこからさらにギアを上げてくる。
小林:宮坂さん、川邊さん、小澤さんらの体制になって、明確に雰囲気の違いが出てきたのを覚えてます。「爆速」を掲げて少ししてからだったと思いますが、中途採用で負けることが何度か出てきたんですよ。それまで、ヤフーって採用では人を輩出する側だったんです。それが、採用のオファーの時に「ヤフーと迷ってるんです」って言う人が増えた。確かその時期、人事のトップの方も変わられて、人事施策もかなり大胆かつスピーディに変わってきてた。それを見て、「この会社、ほんまに変わる気かも」って思った。
村上:結局、ステージを変える時には人を替えないと会社は変わらないっていうのは、多くの経営者が指摘してることやね。そういう意味だと、日立も人を替えると同時に事業の割り方を変えているから、結局、人を動かしてるんだよね。
小林:「人を替える」というと、「あいつはアホだ」とか、「あいつは賢い」とかそういう話に聞こえるんだけど、僕は山の登り方を変えるっていう話だと思ってます。エベレストに登る時に、ネパール側から登って無理だったら、チベット側から登ってみる、というような。でも、「登る方向がおかしかったんちゃうか」という議論を、前と変わらないチームのままするのって難しいんですよね。そうした時に一番簡単な方法が登る人を替えることなんですよ。
村上:これは難しいよね。「人は変えるべきだ」、でも「ロングタームでやるためには、インセンティブと紐付けなくてはならない」。それを誰かが上位のレイヤーでモニターしていないと、結局、中期的に株価に跳ね返った時に、誰に功績もしくは責任があったのかが評価できない。そうした時に取締役や報酬委員会の機能がないと難しいよね。社長が最上位概念になった瞬間に、それが担保しづらくなる。
日本電産、永守会長の巧みなステージチェンジ
村上:日本の会社のステージチェンジに関する好例を挙げると、日本電産の永守会長。素晴らしいじゃないですか。昔からめちゃめちゃM&Aしてるんですよ。 今でこそ数兆円ですけど、20年前の小さい会社のときからM&Aの活用者として名を馳せていて、その当時のM&Aの案件ってすごく小さいんですよ。数億未満とか。
朝倉:数億未満!?
村上:僕がもうひとつすごいと思うのが、永守会長のステージチェンジへの意識。 日本電産がM&Aを活用しだしたのは20-30年前だと思いますが、その当時のモーター業界における日本電産の存在感って、小さくて、大きなリスクを取るべきでないフェイズだったと思うんです。だから、とにかく安く買って、自分たちが一番オペレーションがうまいから、オペレーションでレバレッジして最大化する案件ばっかりやってたんです。 最近では1000億を超える案件もやり始めている。けれど、今はもうモーターでシェアを取ったので、大きなものをやる際のリスクが相対的に下がっている。この「勝ってるフェイズなんだから、1000億で大きく成長できるなら資金を張るべきだ」という感覚をお持ちなのは凄いなと思いますね。 永守会長は、「やるならこれくらい」っていう感覚が、全てにおいてステージが違う中、適切にリスクを取れている感じがする。事業のシェア、存在感でのステージ、財務的なステージ、自分たちのM&Aのステージ、いろんなもののステージの違いをうまく意識しながら、適切な打ち手を打っているというところで、僕は永守会長がステージチェンジを常に意識しながら経営なさってるんじゃないかなと思ってますね。
朝倉:そう思うと、細かい案件を短いサイクルで行っている、じげんの平尾丈社長も、ひょっとしたら同じような感覚を持っているのかもしれませんね。
海外機関投資家が見出したスタートトゥデイ
朝倉:時価総額1兆円に到達したスタートトゥデイは、外から見ていると「スーッ」と行ったという印象を受けます。
村上:スタートトゥデイの1番のステージチェンジってどのフェイズかな。4年くらい前までは、そこまで大きな会社じゃなかったのに、一気に来たよね。
朝倉:気付いたら飛び抜けていたように感じますね。
小林:小売業に見えて、フィナンシャルな付加価値も取るっていう側面を最近は強めてますよね。割賦の話とか、単なる小売業とは見てないのかもしれません。
村上:あとは、日本という極東のニッチなECの、さらにニッチなアパレルの、ニッチプレイヤーという存在から抜けた時点で、資本市場における知名度に関してはグローバルに礎を少なからず築けていた。「スタートトゥデイっていうおもろい会社あるよ」って4年くらい前から言われていたと思うんですよ。そこから、ちょっとずつみんなが注目し始めて、それくらいから入った大きな投資家って結構いると思います。 あそこのフェイズまでに、組織面・事業面の足腰が鍛えられてたからこそ、日本のマザーズの中小型株の一つだった時代はそこまで機関投資家に拾われなかったのが、あるタイミングで優良投資家の目に入ってきて、先行的な指標でトレーディングされ始めたんだと思います。だから、事業の成長以上に株価はぐぐっと伸びたよね。
小林:成長期に大規模にスタートトゥデイに投資してたのが、キャピタルやフィデリティ、Joho Capital、オービスなどの海外の大手機関投資家。まだ2012年の株価がすごく低かったころに入り始めて、その後の大量保有報告の変更届を見ても、相当長期にわたって大規模にホールドしていたのがわかる。そこでふと思うのが、「日本人じゃないんだ」ってこと。
朝倉:結局、マザーズに投資できる日本の機関投資家って極めて限られていて、マザーズに設定されているファンドが極めて少ない。そうなると海外の投資家が全部持っていってしまう。先ほど挙げたマザーズのじげんにしても、海外の投資家が多いですよね。
小林:日本の機関投資家が発見できないというのは、日本人としてはちょっと残念ですよね。
朝倉:もう少しこのあたりが盛り上がってくるといいですね。サッカー日本代表と同様に応援しようよとまでは言わないまでもね。
第1回 DeNA、GREEの死闘をひっくり返した「パズドラ」の衝撃
第2回 顧客ガン無視。なぜ企業は「都合のいい市場分析」にハマるのか
第6回 星野監督の夢はノムさんの後にひらく?経営戦略の遅効性
第7回 日米雇われ社長の給料事情。〜全てのサラリーマン社長のために〜
第8回 ソニー・ヤフー・日本電産、ステージチェンジには人を「替える」
朝倉 祐介
シニフィアン株式会社共同代表 兵庫県西宮市出身。競馬騎手養成学校、競走馬の育成業務を経て東京大学法学部を卒業後、マッキンゼー・アンド・カンパニーに入社。東京大学在学中に設立したネイキッドテクノロジーに復帰、代表に就任。ミクシィ社への売却に伴い同社に入社後、代表取締役社長兼CEOに就任。業績の回復を機に退任後、スタンフォード大学客員研究員等を経て、政策研究大学院大学客員研究員。ラクスル株式会社社外取締役。Tokyo Founders Fundパートナー。
村上 誠典
シニフィアン株式会社共同代表 兵庫県姫路市出身。東京大学にて小型衛星開発、衛星の自律制御・軌道工学に関わる。同大学院に進学後、宇宙科学研究所(現JAXA)にて「はやぶさ」「イカロス」等の基礎研究を担当。ゴールドマン・サックスに入社後、同東京・ロンドンの投資銀行部門にて14年間に渡り日欧米・新興国等の多様なステージ・文化の企業に関わる。IT・通信・インターネット・メディアや民生・総合電機を中心に幅広い業界の投資案件、M&A、資金調達業務に従事。
小林 賢治
シニフィアン株式会社共同代表 兵庫県加古川市出身。東京大学大学院人文社会系研究科修了(美学藝術学)。コーポレイト ディレクションを経て、2009年に株式会社ディー・エヌ・エーに入社し、執行役員HR本部長として採用改革、人事制度改革に従事。その後、モバイルゲーム事業の急成長のさなか、同事業を管掌。ゲーム事業を後任に譲った後、経営企画本部長としてコーポレート部門全体を統括。2011年から2015年まで同社取締役を務める。 事業部門、コーポレート部門、急成長期、成熟期と、企業の様々なフェーズにおける経営課題に最前線で取り組んだ経験を有する。