飲食業での経験から流通インフラを刷新する必要を感じた村橋孝嶺代表取締役社長が64歳で起業した株式会社Mマート。同社は、飲食のBtoBに特化したインターネットマーケットプレイス事業に取り組んでいます。64歳で、それまで馴染みがなかったインターネットを用いて、流通サイトを始めた経緯や成功要因、今後の事業構想について、村橋孝嶺代表取締役社長にお話を伺います。
村橋孝嶺(むらはし こうれい)
株式会社Mマート代表取締役社長。1936年生まれ。東京都出身。 飲食業界に務め20歳で独立、飲食店を経営。2000年株式会社Mマートを設立。代表取締役に就任。以降、現職。
2000年創業のMマートは、時代の変化にもかかわらず飲食業界において食材流通のインフラが整理されておらず、卸売店と飲食店がマッチングされないという問題に対して、情報を整理しオープンにしたBtoBに特化したインターネットマーケットプレイスを展開し、流通を変革するためのインフラとなることを目指している。2018年に東京証券取引所マザーズ市場に新規上場。証券コードは4380。
(ライター:中村慎太郎)
ベテラン飲食店経営者として感じた流通の課題
小林賢治(シニフィアン共同代表。以下、小林):2000年にMマートを創業されたとのことですが、どのような課題感を持って起業されたのですか?
村橋孝嶺(株式会社Mマート代表取締役社長):私はもともと飲食店を長く経営してきました。20歳で起業してから、50年近くになります。バブル崩壊以降に「中抜き」という言葉で、卸の仕組みに対する批判が出始めました。その頃は、飲食店にとって仕入れ先を探すことが難しい時代でした。肉屋さんなら畜産系、魚屋さんなら水産系というように仕入れ先が分かれているため、数十社から仕入れないといけないわけです。これは非常に不便です。しかも配達してくるのは営業マンではなくトラックの運転手なので、配達した人に詳しいことを問い合わせてもわからないわけです。どんな商品があるのかを聞いても値段のついていないリストを渡されるだけ、ということもありました。それが1990年代の現実でした。
他にも、例えばお米屋さんが混ぜ物をすることもありました。銘柄品を注文しても100%銘柄品ではないわけです。「この質の米であれば、キロあたりいくら払う」という約束をしているのに、混ぜ物をされて質が低いことがあります。そういったことが日常茶飯事でした。
当時から、こんなことを続けてちゃんとした流通ができるのかなと疑問を持っていました。飲食店から見た当時の流通の仕組みは、あまりにも効率も、質も、悪かったわけです。
小林:卸す側が、混ぜ物をされても気付かないほうが悪い、というスタンスだったんですね。
村橋:そうです。我々は長年の経験でわかりますが、アルバイトが多い厨房だとわからないわけです。お米屋さんを注意すると何週間かは普通に戻りますが、しばらくすると元の木阿弥になります。そこで、新しい仕入れ先を探すことにしました。
しかし、電話帳で探してみても「新宿には配達していません」だとか、「業務用はやっていません」ということになってなかなか見つかりません。そこで使ったのがインターネットです。1990年代はちょうどインターネットが普及しだした頃でした。年末遊びにきた息子にノートパソコンを借りてはじめてパソコンを触り、食材卸サイトを探しました。
ところが、見ようと思っても会費を払わないと見られないわけです。スーパーに喩えるなら、入るだけで入場料を払わなければいけないということですね。違和感を持ちましたが、入場料を支払ってサイトの中を見てみると、これは中小企業が使えるものじゃないと即座にわかりました。使い勝手が悪いのです。会員制のクローズマーケットで卸をやってもだめだと思いました。
インターネットの本質を信じ、オープンな卸売マーケットを構築
小林:そこでオープンなインターネットマーケットプレイスを思いついたわけですね。しかし、それまでは馴染みがなかった技術なのに、起業まで考えるというのはすごい話ですね。
村橋:私は本をよく読みますので、これからはインターネットの時代だとわかっていました。なので、このインターネットを用いて、肉も魚もあらゆるものを包括した卸売りサイトを自分で作ろうと思い立ちました。飲食業ベテランの私でさえこんなに仕入れに困っているということは、若い人たちも絶対困っているはずです。だから、自分でサイトを作れば飲食業の人々全体の助けになるのではないかという軽い気持ちでした(笑)。
1999年12月に決心して、翌2000年2月25日に会社を作りオープンしました。ネットの初心者ですから、渋谷の会社に電話してホームページを作れる人を寄越してくれないかと頼みました。そうしたら、その会社の専務がやって来て、私がやりたいことを説明すると「わかりました。作りましょう」となりました。
ところが翌日以降、その会社へ電話してもつながらなくなってしまったんです。どうしたのかと不安になっていると、10日ほど経った頃にその専務がやってきて「すみません、倒産しました」と言うのです。ちょうどITバブルが崩壊する時期でした。
小林:なんと……。確かにそういう時期でしたね。
村橋:「これは大変だ。この業界はこういうことがあるんだ。わからないなりに自分たちでやらないといけない」。そう思って、息子に「作れ」と言ったのですが「できません」という返事が返ってきました。
「いや、できないことはないだろ。誰かが作っているんだから。本を買ってきて作れ」と言いました(笑)。そんなこんなで、まずはHTMLで作り始めたのですが、買い物カゴなんて難しいものは作れませんから、写真と商品説明、売り手の住所などの買い手が知りたい情報を、全部オープンにしたサイトにしました。
それを見た同業者からは「あいつはバカだ」と言われましたが、インターネットの本質は情報の対称化だと思っていました。あらゆる情報をさらけだして情報の非対称性を解消しなければ意味がないと考えたのです。そうやってとにかく情報をオープンにするところから始めたんですが、如何せん買い物カゴがなく商品情報しかないわけです。「欲しい方は売り手のところに電話かFAXしてください」と(笑)。
小林:なるほど(笑)。アクションは手動ではあったものの、情報を集めて、無料で公開することにこだわったのですね。
村橋:そうです。私の飲食店に出入りしている卸屋さんに声をかけて3ヶ月ほどで20数軒の情報をホームページに掲載しました。そこから2〜3ヶ月経った頃に、肉屋の社長が顔色を変えて私のところに来て「大変です!」と言う。何があったのか聞くと、「日本全国から注文が殺到して捌き切れません!FAXが止まらない」と言うんです。その時、すごいニーズがあるんだなと確信しました。
小林:なんと、初期の頃から全国で反響があったのですね。
村橋:そうなんですよ。当時はインターネットを見ている人は多くなかったはずなんですけどね。買い手のためのサイトを作ることと、高品質で安いものを掲載することを絶対の原則にしました。買い物カゴはないけど、値段がいつも仕入れているところより安いわけです。飲食業界は年間数%の利益を得ようとしのぎを削っている業界ですから、仕入れ段階で15%安いとなったら飛びつきますよね。それでFAXが殺到したわけです。
村上誠典(シニフィアン共同代表。以下、村上):村橋社長の長年の買い手としてのノウハウが反映されていたのですから、同業の方からすると非常に魅力があったのですね。
喧嘩も厭わない、『三方良し』の強い信念が業界を動かした
小林:卸屋さんから「こんなに安くしては困る」と言う声はありませんでしたか?
村橋:もちろん、ありました。その度に喧嘩になりました。「親の代から30年以上続いている取引先よりも、安く出さなければいけないのはどうしてなんだ」という感じですね。
そんな時は「じゃあ出すのをやめなさいよ。30年と言うけれど、自分のトラックで運転手を雇って毎日配達しているんでしょ。しかも売り掛けでしょ。月末締めで、誰かを集金に行かせているんでしょ。うちは全部現金取引ですよ。安くて当たり前です。文句を言う人にはMマートで安く買えと言えばいいじゃないですか。そしたらあなたも助かると思いますよ」と。
その段階で、「それはそうだ」と気付いた取引先さんは今も成長しているんですよ。その時に「そんなバカなことがあるか」と言った人は、伸びなかったですね。
小林:今のビジネスモデルでは、卸屋さんに課金し、買い手側には課金しないシステムになっていますね。初期、この仕組みに卸屋さんがどういった反応をしたのか気になっていました。
(Mマート「成長可能性に関する説明資料」より。「Mマート」の場合、売り手側となる卸は出店料を支払う一方、買い手側は無料で参加できる仕組みとなっている)
村橋:その当時はネットのことに対して誰もが無知でしたから、年中、喧嘩をしていましたよ。喧嘩の度に、じゃあやめなさいよと言いました。無理をしてまでうちを使う必要はありません。誰かが犠牲になって行う仕組みは永続きしません。「売り手良し、買い手良し、うちも良し」の三方良しにならないと長続きしないですからね。最初から突き放すと、家に帰ってから考え直してくれるんですね。
小林:卸屋さんがMマートに出品するのは商品だけですよね。支払いや物流はどうされていたんですか?
村橋:全部自分たちでやってもらいます。出店の場合、送料は買い手持ちで、 代引き手数料は売り手持ちです。代引き手数料は、売り手の集金費用が省けるのだから、売り手が負担してください、送料は、買い手の買い物に行く交通費が省けるのだから買い手が負担してください、という発想ですね。
小林:食材から始まって、周辺機器などの取り扱いも増えていったのはそういった仕組みに対する売り手側のニーズがあったからでしょうか。
村橋:そうですね。3年くらい経った頃、東北の社長が会いに来てくれたことがありました。聞くと、3年に1回くらい合羽橋に食器を買いに来ていて、そのついでに私に会いに来たということでした。その話を聞いて私は、食器の買い付けのためにわざわざ東北から出てくるのは大変だなと思ったんです。そこで食器の取り扱いを始めてみようかと思ったら、これが難しいんです。なぜなら、食器は安くならないからです。
食器の販売は、各地域の組合が、窯元の値付けを全部押さえているという、古い体質だったのです。これは手強いなと思いました。
ですが、手強いほどビジネスチャンスだと思い、3年がかりで徹底的に攻略していきました。すると1軒だけ食器を出してくれる窯元があったんです。
小林:それはどういった窯元だったのですか?
村橋:実は、経営不振の窯元だったんですよ(笑)。背に腹は変えられないと数万枚の皿や丼鉢を出してくれました。そうしたらあっちもこっちも、と他の窯元も雪崩を打つように続きました。今ではおそらくMマートがいちばん食器を扱っていると思います。
村上:倒産しかけたところから始まったというのは面白いですね。
村橋:組合が強くて、なかなか崩せなかったのですが、1軒目が崩れたら、その組合の他の窯元がどっと出品してくれました。本当は安くてもいいから売りたかったんですよ。
村上:なるほど。逆に組合があったことが一気に広がる素地になったわけですね。
【Mマート】64歳で起業、81歳で上場。飲食のベテランが仕掛ける流通革命 Vol.1