日本のスタートアップ・エコシステムの発展
日本から新たな産業を創出するにあたり、日本版のスタートアップ・エコシステムを形成する必要があるという指摘がされるようになってから久しく経ちます。シリコンバレーのように、次々とスタートアップが生まれる仕組みや環境を整えようという議論です。シリコンバレーと比較すると、日本のスタートアップ・エコシステムが形成されたと言えるまでにはまだまだ3合目といった感はありますが、こと、資金調達という点においては、日本のスタートアップを取り巻く環境はここ数年で様変わりしています。
2016年、日本における未公開企業のエクイティによる資金調達額は2,099億円に達しました。私が零細スタートアップの経営に従事していた2010年当時の調達合計額は691億円。リーマンショックの傷跡がまだ癒えておらず、世界規模で見ても資金の流動性が極めて低い時期でした。私が携わっていたソフトウェア開発のスタートアップはなんとか1億円の資金を調達することができたものの、当時はIT関連の未公開企業が1億円以上の資金を調達するのは珍しいことでした。その頃と比べると、2016年における国内スタートアップの資金調達合計額は、わずか6年の間に3倍近い規模にまで達しています。今ではスタートアップによる1億円を超える規模の資金調達のニュースが、まるで週替わりのようにテック系メディアをにぎわせています。
こうした調達額増加の要因を紐解いてみると、ひとつには世界規模で資金の流動性が高まっているというマクロ要因をまず挙げることができます。
また、第二次安倍政権下での経済政策において「産業の新陳代謝とベンチャーの加速」が挙げられていることが象徴するように、最近では政府による様々なスタートアップ支援策が実施されています。官民ファンド、公的機関を介したスタートアップ投資、VCへの投資が積極的になされている一方、大学改革の一環として、東京大学、大阪大学、京都大学、東北大学といった主要国立大学では、学内の研究成果に出資するVCが相次いで設立されています。
また民間においても、金融機関、インターネット企業、メーカーといったさまざまな業種の大企業がスタートアップやVCに出資するほか、独自のコーポレートベンチャーキャピタル(CVC)を設立するなど、大組織とスタートアップの連携の機運が高まっています。
そして何より、以前から国内のスタートアップに関与し続けてきた経営者や投資家といったスタートアップ当事者による不断の努力が実を結びつつある証であることも忘れてはいけません。
スタートアップ・エコシステムの「アフターマーケット」
さて、日本におけるこのようなスタートアップ・エコシステム形成の機運を一過性のブームで終わらせることなく、さらなる次元に引き上げるためには、一体何が必要でしょうか。私は、スタートアップ・エコシステムにおける「アフターマーケット」の発展こそが鍵を握ると考えています。
一般に「スタートアップ」と聞くと、非公開の新興企業群が想起されることでしょう。しかし、そうした企業群に留まらず、買収や上場といったイグジット後の会社・事業も広くスタートアップ・エコシステムの一角と捉え、その後のさらなる成長を実現しないことには、スタートアップの取り組み自体が広く社会から信任を得ることはないでしょう。
2016年に東証マザーズに上場した会社は54社ありますが、それらの上場時の平均時価総額は66億円、新株発行による調達額の平均は7.5億円です。この規模感をシリコンバレーのスタートアップに照らし合わせて考えてみると、アーリーステージからミドルステージと呼ばれる段階のスタートアップの規模感に該当すると言えます。あくまでもアメリカの市場との比較ではありますが、日本のスタートアップは相対的に早い段階で上場していることが見て取れます。世界的に見ても、日本の市場は上場に向けたハードルが低いユニークな市場と言えるでしょう。
この事実をただちに肯定的・否定的に論じることはできません。アメリカではプロフェッショナルなベンチャー投資家が担っている資金供給の役割を、日本においては一般投資家が担っているということであり、事業がまだ成長段階にある若い企業を、一般の投資家が支える土壌が整っていると見ることもできます。日本独自の株式市場の特性です。
IPO後にスタートアップが直面するチャレンジ
一方で上場を機として、一般的にVCは保有するスタートアップの株式を市場で売却するものです。VCの事業特性上、これは不可欠なプロセスではありますが、スタートアップの側から見れば、社外から受けていたサポートの下を離れ、独り立ちしなければならないことを意味します。
通常、株式の流動性や投資規模といった制約の関係上、大手の機関投資家が投資対象とする会社の時価総額の規模の目安は2,000億円以上と言われています。そうした注目度合いの関係もあり、東京証券取引所によれば、2011年のアナリストによるカバレッジ率の状況は東証一部が54.2%であるのに対し、マザーズは22.7%にとどまっています。大手機関投資家の投資対象の規模に見合わない会社に投資するのは、主に個人投資家です。こうした個人投資家は、限定的な会社に関する情報を元にして投資の意思決定を行わなくてはなりません。ともすると、会社は投機気質の強い個人投資家をも対象に、四半期単位で事業の推移を説明する責任を求められます。
また、ひとたび上場して資金を調達した後、会社が株式を発行して資金を調達するタイミングは市場変更など、極めて機会が限られているというのが現実です。本来は市場からスムーズに資金を調達することを目指して株式を市場に公開しているにも関わらず、資金が過剰流動気味の未公開企業のマーケットに比べて、より資金が調達しにくいという逆説的な状況が生じてしまうのです。
上場により、資本市場との対話という新たな責任を負うIPO後の企業にとって、外部からのサポートが薄れた状態で企業経営を行うということは、決して簡単なことではありません。
ポストIPO・スタートアップが新たな産業を創出する
Yコンビネーターの生みの親であるポール・グレアム氏は、
スタートアップとは、急速な成長を意図する企業である
と述べています。直近に設立されたかどうか、テクノロジーに携わる会社かどうか、ベンチャーキャピタルから出資を受けているかどうか、イグジットを見越しているかどうか。これらの要素はスタートアップであるかどうかには一切関係がなく、スタートアップにとって唯一の本質的な特徴は「急成長」であると、氏は述べています。
仮にポール・グレアム氏の定義に沿って「スタートアップ」という言葉を解釈するのであれば、既にIPOを果たしている会社かどうかということもまた、スタートアップであるかどうかを判断する上では何ら関係しないということになります。
スタートアップの当事者にとって、IPOがひとつの大きな節目であることは間違いありません。しかし同時に、IPOとは企業がさらなる成長を目指すために、資金を広く市場から求める契機にすぎません。新規に上場したばかりの企業はもちろんのこと、老舗企業も含めて、IPO後もなお社会へのインパクトをより拡大すべく真に成長を目指す上場企業もまた、スタートアップであると言えるでしょう。
アフターマーケットを活性化することで日本のスタートアップ・エコシステムをより充実したものにすることができないか、また、情報発信が手薄になりがちな新興企業にとって、株式市場との対話の補助となる仕組みをつくることができないか、上場後の企業経営のヒントとなる知見を得られる場をつくることができないか。このような思いから、”Signifiant Style(シニフィアンスタイル)”は生まれました。
私自身、マザーズ上場企業の経営に携わり、会社を衰退局面から成長ステージに引き上げる上で大変な困難に直面しました。また会社の情報発信にあたり、メディアを介することで意図した内容が十分に訴えられないことにも強いフラストレーションを覚えた経験があります。こうした課題を、少しでも解決するのが”Signifiant Style”のテーマです。
”Signifiant Style”では、IPO後もなお精力的に発展を遂げようとする意志を持った会社のことを、”Post-IPO Startup”(ポストIPO・スタートアップ)と呼びます。
ポストIPO・スタートアップの発展こそが、日本におけるスタートアップ・エコシステムのさらなる拡充と、日本の産業の進化において不可欠であると、我々は考えています。
Signifiant Styleの取り組みが、ポストIPO・スタートアップが次のステージに向けて更なる成長を遂げる上での一助となれば、これに優る喜びはありません。
朝倉 祐介
シニフィアン株式会社共同代表 兵庫県西宮市出身。競馬騎手養成学校、競走馬の育成業務を経て東京大学法学部を卒業後、マッキンゼー・アンド・カンパニーに入社。東京大学在学中に設立したネイキッドテクノロジーに復帰、代表に就任。ミクシィ社への売却に伴い同社に入社後、代表取締役社長兼CEOに就任。業績の回復を機に退任後、スタンフォード大学客員研究員等を経て、政策研究大学院大学客員研究員。ラクスル株式会社社外取締役。Tokyo Founders Fundパートナー。