INTERVIEW

【モルフォ】スマホシフトの荒波を乗り越え、画像処理技術で世界を目指す Vol.1

2018.03.05

スマートフォンをはじめとするさまざまなカメラに、最先端の画像処理技術をソフトウェアで提供するモルフォ。自ら研究者として技術開発に携わり大学発のベンチャーとして起業した平賀社長は、ガラケーからスマホへの変化を海外展開で乗り越え、現在も新たな分野へ進出しようとしています。「新たなイメージング・テクノロジーを創造する集団として革新的な技術を最適な『かたち』で実用化させ、技術の発展と豊かな文化の実現に貢献」するという経営理念を実現するために、どのようにビジネスを展開していくのか、平賀社長のお話を伺います。

平賀督基(ひらが まさき)

1997年、東京大学理学部情報科学科卒業。2002年、東京大学大学院理学系研究科情報科学専攻(博士課程)修了。博士(理学)。在学時より画像処理や映像制作用の技術開発に携わる。2004年、株式会社モルフォ設立、代表取締役社長。2011年、当社代表取締役社長兼CTO室室長(現任)。

2004年創業のモルフォはデジタル画像処理をはじめとするイメージング・テクノロジーの研究開発主導型企業。静止画並びに動画の手ブレ防止補正ソフトウェアや高精度HDR合成ソフトウェア、パノラマ画像生成ソフトウェアなどが国内外の携帯電話やスマートフォンに搭載されている。2011年7月、東京証券取引所マザーズ市場に上場。2017年10月期の売上高は約23.6億円、営業利益は約8.1億円。証券コードは3653。

(ライター:石村研二)

ガラケー時代、ドコモとの提携で急成長

村上誠典(シニフィアン共同代表。以下、村上):最初に御社の事業概要についてご説明いただけますか?

平賀督基(株式会社モルフォ代表取締役。以下、平賀):現在のメインの事業はスマホのカメラ機能のソフトウェア開発です。B to Bでテクノロジーを提供しているので、普通の方にはなかなかご理解いただけないのですが、手ぶれ補正や、逆光でも人の顔や背景を写るようにするテクノロジーを、スマートフォンのメーカーに提供しています。

モルフォ社資料より

村上:2004年の創業当時はガラケーの時代。2007年にドコモと組まれて、2011年に上場なさっていますが、ちょうどその頃、ドコモはサムスン製品を注力的に扱うようになり、御社の業績も急成長の状況から一気に落ちこんだと思います。大きなパートナーがいることのメリットとデメリットについてはどうお感じですか?

平賀:2006-7年ころにドコモに面白い会社だと評価していただいて資本参加してもらい、ドコモ・ドットコムというVCからも出資を受けたんですが、その当時、ドコモはテクノロジーの会社に積極的に支援を行っていました。当時のドコモは、ガラケーをネットに繋げる技術や、javaでアプリ開発をするといった日本の技術を海外に持っていこうとしており、その流れに乗ってわれわれのようなテクノロジーの会社もお世話になることができたんです。大きい会社が支援してくださるとそこからの売上も上がるし、経営も安定するので、非常に良い支援をしていただいたと思っています。当時の大口顧客はドコモとシャープで、その2社で売上の半分くらいを占めていました。

ただ、そうした日本の技術を海外に展開していこうという戦略があまりうまくいかず、そのうちにAndroidやiPhoneが出てきました。ドコモとしてもデバイスのテクノロジーを自分たちでやるよりも、サービスに舵を切っていこうという方針に変わり、メーカーからガラケーやスマホを調達しなくなりました。

われわれのビジネスは、ソフトウェアをお客様にライセンスしてその対価をいただく事業が中心ですが、当時、シャープやNEC、パナソニックといった携帯電話メーカーに提供していたライセンスの費用を、実はドコモが肩代わりしてくれていたんです。「基本的なソフトウェアだからキャリアが負担する」という位置づけで。そのビジネスモデルがガラケーからスマホに急激に変わっていくタイミングで崩れてしまいました。

それでも、2011年のIPOを後押ししてくれたのもドコモでしたし、サムスンと繋いでくれたのもドコモでした。そのころまではドコモとの提携のメリットは大きかったんです。

スマホシフトで苦境に、そして海外へ

村上:IPOを後押しした点でも、ドコモの貢献は非常に大きかったということですが、その直後にビジネスを国内9割から海外9割へと大きく転換していますよね。同時に、それまではキャリアを通じてビジネスを展開されていましたが、デバイスメーカーと直接やりとりしなければならなくなりました。こうした変化をどのように乗り切られたのですか?

モルフォ2014年10月期 決算説明会資料より。 スマホの浸透が進展し始める2013年ごろからビジネスが大きくシフトし、急激に海外端末メーカーへの売上構成比が上昇している

平賀:国内のビジネスがなくなったため、海外でビジネスを作らなければならなくなり、急速に転換せざるを得なかったというのが正直なところです。日本の家電メーカーは、不振事業部門から携帯電話事業にごっそり人材を移していたので、その人材で曲がりなりにも技術開発ができるなら、コストをかけて外部の技術を導入する必要はないという方針でした。対して海外のメーカーは、その端末が良くなることに投資するので、例えばソフトウェアにしても自社の技術と外部の技術をコンペして、良い方を採用するというのが基本的なスタンスなんです。それをチャンスと捉えて、2012年から一気に海外シフトすることにしたんです。

村上:国内と海外では、営業のやり方や契約の進め方でもいろいろ違いがあると思うんですが、急速にシフトするために、人の入れ替えなどもされたんですか?

平賀:人の入れ替えはありましたね。ただ、国内のビジネスがなくなってしまったため、日本でしか営業できない人は成果が出せなくなって辞めていき、結果、海外への営業で成果を出せる人が残ったという感じでした。

村上:業績を振り返ると、あのタイミングで急速に海外シフトできたということが、今の御社の土台になったんでしょうか?

平賀:そうですね。ただ振り返ってみると、あと1年くらい早く海外シフトすると判断できていたら、あそこまで業績が落ち込まなかったんじゃないかとは思います。だから、遅いと言えば遅いんです。

村上:「ドコモの雰囲気が変わったタイミングで海外にシフトできていれば……」ということですか?

平賀:そうですね。目の前の売上に囚われすぎていたんです。国内の顧客の希望することをやっていないと目の前の売上を失ってしまうという感覚があったんですね。実際はその時すでに売上は失っていたんですが、目の前の国内の顧客しか見えていなかった。結果として、2012年に20人程、人を減らすことになってしまったんです。

朝倉祐介(シニフィアン共同代表。以下、朝倉):その時期が、上場のタイミングともほぼ重なっていますよね。上場を意識したことが社内の状況をガラリと変える足かせになったというのもありましたか?

平賀:たしかに、それは少なからずあったと思いますね。上場を見据えると、どうしてもリスクを小さくする方向に考えが傾いてしまいますからね。