【イオレ】iモードコンテンツの成功と、イオレの創業 Vol.2

LINEやFacebookといった大手SNSと一線を画すコミュニケーションサービス「らくらく連絡網」はどういった経緯で誕生したのか? 同サービスを中核のビジネスとして展開しているイオレの吉田代表取締役社長にその誕生秘話や独自の強みなどについて聞いたインタビューの第2回。前回の記事はこちらです。

マッサージ店、iモードコンテンツの成功後、イオレを立ち上げ

小林賢治(シニフィアン共同代表。以下、小林):銀行からの貸しはがしで一度は自己破産なさった吉田社長ですが、その後にサイバービズ(現ザッパラス)を創業されていますね。

吉田直人(イオレ代表取締役社長。以下、吉田):会社があっという間に倒産に追い込まれた後、マインドも完全にやられ、しばらくは茫然自失の日々でした。ただ、時間に追われない生活になって、友人は増えましたね。経営者時代はとにかく仕事に没頭しており、人付き合いにはまったく興味のない人間でしたから。とにかく、そうやって過ごしているうちに、私の中で1つのアイディアが生まれました。

銀行に返済を催促されていた頃、 憔悴しきっていた私はマッサージに癒しを求めていました。その時にふと思い出したのは、スキューバダイビングの資格を取得するために出かけたプーケットで施術してもらったタイ古式マッサージのことです。当時はまだ日本に上陸していなかったので、1998年に六本木で「チャイ」という本邦初のタイ古式マッサージ店をオープンしてみました。すると、雑誌やテレビが取材に訪れ、4カ月後まで予約でいっぱいの大盛況となったのです。この成功で、私はいくらか自信を取り戻すことができました。

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小林:またまた、今まで取り組んできたビジネスとはまったく畑違いのジャンルですね。

吉田:そうですね。しかし、これまで自分が手掛けてきたビジネスの仕組みとは異なっていたため、さらなる拡大は難しいと考えていました。そして、できればもう一度メディアの世界に戻りたいと思っていたところ、ファミリービズという会社を立ち上げていた友人から「いっしょに仕事をしないか?」と誘われ、友人が会長、私が社長という位置づけでサイバービズを設立・経営することになったわけです。

小林:サイバービズのビジネスは、NTTドコモのiモード向けにコンテンツを提供するというものでしたね。

吉田:そうです。ちょうどiモードがヒットし始めた頃で、マーケットが拡大する中でコンテンツが不足していたことから、サイバービズもいきなり初年度から莫大な売上を獲得し、まさにロケットスタートを切ることができました。サイバービズでの経験も、私の自信の回復に大変大きな影響を与えました。そこで改めて、自分のビジネス人生を見つめ直しました。

小林:その結果、どのような結論に至ったのでしょうか?

吉田:自分は事業に失敗してたくさんの人に迷惑をかけ、たくさんの人に助けてもらいました。だから、きれいごとに聞こえるかもしれませんが、単に新たな事業を立ち上げてそれで成功するだけではなく、世の中に貢献することをやりたいと思ったのです。みなさんの役に立つことに取り組んで、その結果として事業も大きくなっていくような状態をめざしたいと考えていました。そして、サッカーの日韓W杯開催の前年である2001年4月にイオレを創業したわけです。社名の由来は、サッカーで応援する際の掛け声である「オーレ」です。

携帯サッカー新聞を作ってみたものの……

小林:創業前のお話だけでも相当な厚みがありますね。ようやく今の会社のお話に入りますが、「オーレ」が社名の由来と言うと、当初はサッカーに関わるビジネスからスタートさせたということでしょうか?

吉田:どんなことをやって社会に貢献しようかと模索していた頃に、ちょうど日韓W杯が近づいてサッカーが盛り上がってきて、サッカーに関する事業で貢献するのはどうかと考えました。ゲームを作っているとわかるのですが、どんな人気作にも必ずアンチのユーザーはいます。それこそ、ポケモンだって嫌いだという人は存在するんですから。ところが、オリンピックもそうですが、W杯ともなってくると、日本人なら誰もが一緒になって日本代表を応援するわけです。この一体感を活かして何かをやれないかと思ったのです。また、こうしてサッカー熱が高まっていく一方で、廃部やリーグ自体の廃止といったように、企業スポーツが廃れていくのを目の当たりにしていました。だから、スポーツをみんなで応援していく仕組みを作ろうと考えました。

小林:具体的に、どのような仕組みを作ろうとしたのですか?

吉田:今のクラウドファンディングのようなことをやって、それで得られた収益をサッカー日本代表候補の若年層に寄付するという仕組みです。若年層を強化しなければ、日本代表はさらに強くなれませんからね。ところが、ドネーション(寄付)に関する仕組みを構築するのに苦戦しました。日本サッカー協会とも話を進めていたのですが、様々な困難に直面し、結局はこの根本的な部分が暗礁に乗り上げてしまいました。

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その結果、イオレとして最初に立ち上げたのは、携帯サッカー新聞になりました。コンテンツで収益を上げて、それを寄付すればいいじゃないかと開き直ったのですが、そこまで収益が上がりませんでした。「収益を上げよう」ではなく、「人のために役に立つことをしよう」というスタンスが強すぎると、どこかビジネス的にはバランスが悪くなってしまうのでしょうか。ユーザーのために少しでも早く速報を伝えようとか、一所懸命にやっているのですが、どんどんボランティアっぽくなってしまいました。株主の皆様からさらに出資していただき、誰かを応援しようとしている私たちが逆に応援される始末です。結局、最初の3〜4年は迷走が続きました。