上場後デスバレーは回避できるか

金融危機以降の新規上場マーケットを回顧する

 2008年の金融危機は、金融を専門にしない方々でも資本市場が大変なことになっていると認識した出来事ではないでしょうか。テクノロジー業界は2000年前後のITバブルで一度大きな盛り上がりを見せました。ITバブルの崩壊以降も、今世界をリードする代表的なテクノロジー企業は大胆にポートフォリオを入れ替え、自社サービスを磨き上げ、世界に普及させることで大きな成功を納めてきました。Appleなどはその代表例と言えるでしょう。またITバブル時に生まれた企業・サービスの中には金融市場のパフォーマンスとは無縁の成長を謳歌したものが数多くあります。GoogleやAmazon、国内では楽天、スタートトゥデイ、エムスリーなどはそういった例に該当するでしょう。インターネット普及期、市場の拡大を通じて事業規模や領域を拡大してきた結果、勝ち組企業の企業価値は大きく上昇しました。

 では、金融危機後、テックセクターでは何が起きたのでしょうか。ここ数年、「第二テックバブル」ともいうべき新興勢力の台頭とバリュエーションの上昇といった現象がグローバルに見られています。Facebook、Uber、国内ではLINEなどがその代表例と言えるでしょう。2000年前後のITバブルと比較すると、第二テックバブルでは北米・中国を中心に、「ユニコーン」(上場はしていないが10億ドルを超える企業価値の評価を受けた企業)と呼ばれる大型の新興企業が数多く台頭してきたのが特徴的です。この背景には、世界規模のカネ余りによってリスクマネーがベンチャーキャピタル(VC)へと流れてきたというマクロの流れがあります。また大手テクノロジー企業も次の成長の種を求め、自らの巨大資本をスタートアップへの投資に大規模に振り向けるようになりました。こうした流れによって、特に米国のスタートアップはより幅広い資金調達の選択肢を得ることとなりました。従来のIPOやM&A(戦略的投資家による第三者割当増資や大手資本傘下に入ることによる大手資金の活用もM&Aを介した資金調達に当たる)に加え、大型のPrivate Money(エクイティに限らずデット性の資金も含まれるがここでは詳細は割愛)へのアクセスを、近年のスタートアップは得ることになったのです。こうした大型Private Moneyこそが、ユニコーン誕生の土台を資金面から支えてきたと言えるでしょう。スタートアップにとってIPOは早期に目指すゴールではなく、あくまでも一つの選択肢として位置付けられるようになりました。

 日本でも金融危機を脱して以降、VCを通じて大きな資金がスタートアップへ投下されてきました。その成果として、近々上場が噂されるメルカリなど、大型のスタートアップも出現しました。新規上場市場を見てみると、近年の新規上場企業数は増加傾向にあります。

 新規上場市場がこうした盛り上がりを見せる一方で、上場の絶対数自体は金融危機前の水準を超えるには至っていません。2009年に一時市場が急速に冷え込み、新規の上場が19社まで減少したことを考えれば、この数年は100社に迫る勢いまで「回復した」とも言えますが、その勢いも2015年をピークに頭打ちしているように見受けられます。

注:マザーズに限れば2003年の上場件数55件を2015年に一度超えている

IPO推移2

出典:東京証券取引所
注:2017年YTDは2017年9月10日時点。上場承認後上場日前のものを含む

 上場時の金額にも注目してみると、マザーズ市場では金融危機以降、上場時の公募と売出しの合計金額は継続して増加傾向にあったものの、一件あたりは概ね20億円近辺で横ばいに推移しており、合計金額は2015年の約1,400億円をピークに減少傾向に転じています。非公開のスタートアップに提供されたリスクマネーが増加し、一件あたりの調達額が大型化している現状と比較すると、新規上場市場の調達環境は大きく変化していないという実態が浮かび上がってきます。

上場後に待ち受けるデスバレーの存在

 一般的に、スタートアップが開発した製品やサービスを事業として成功させるにあたっては、「死の谷」と呼ばれる関門が存在すると言われています。研究段階から開発段階まで進んだ事業のシーズを花開かせるためには、生産ラインの確保や流通チャネルの開拓といった事業化にあたっての難関が潜んでいます。必要な事業資金を確保し、この「死の谷」を乗り越えることができるかどうかが、スタートアップの試金石となるのです。

 一方で、上場後のスタートアップ(ポストIPO・スタートアップ)にも、「第二の死の谷=デスバレー」と呼ぶべき状況が待ち受けています。ここ最近上場したスタートアップを例に考えてみましょう。

 例えば2017年6月以降にマザーズ上場した9社の株価パフォーマンスを見ると、全社の株価が上場日の終値を下回っています(2017年9月8日終値ベース)。個別銘柄の事象や同期間の日経平均株価が数%下がっていることを加味したとしても、平均約3割下落というパフォーマンスは決して満足できるものではありません。これは国内・海外の比較的大型な株式(リクルートやLINE等)の上場後のパフォーマンスとは明らかに異なる傾向です。

 マザーズのような国内新興市場におけるIPOの特徴として、IPO時の公募・売出し株式の受け皿が個人投資家中心であるという点が挙げられます。個人投資家にとってIPOは一種のイベントであり、上場日から旺盛な買いが入り、出来高も大きく膨らみます。公開価格に対して、ここ数年は約2倍近い初値がついています。諸々の要因が考えられますが、IPO時の販売株数が限定的であることに起因する需給のアンバランス、「上場株神話」とでも呼ぶべき「上場銘柄は公開価格から必ず上がる」という期待感なども背景にあると思われます。

 もう一点、特に近年の国内新規上場スタートアップの特徴として、上場時の株主構成に占められている外部投資家の比率が高い点が挙げられます。上場時に創業者が最大株主であるのは、ITバブル期に創業した企業の典型的なパターンで、楽天やスタートトゥデイ、またサイバーエージェント、グリーなど多くの事例が見られます。一方、近年ではVCへの資金流入が進み、そうしたVCから資金調達を行うスタートアップも増加した結果、フィナンシャルリターンを狙った外部投資家が上場時点の株主の数十%を構成しているケースも多く見られるようになっています。VCはスタートアップの上場前の開発・事業資金を支える非常に大事な存在である一方、こと上場というイベントに際しては、ファンドであるが故に一定程度のリターンを確定させるための株式売却が必要という制約条件を持っています。またIPO時にVCが全株を売却できるというケースは珍しく、上場後に市場で保有株式をVCが少しずつ売却しているといったケースも見られます。プライベート・エクイティ(PEファンド)が上場時に大きな保有株式を一気に売出すケースとは対照的です。

注:上場に際して大株主には通常一定期間の売却を制限するロックアップが設けられる。ただし、ロックアップの解除規定が設けられているケースも多く、例えば公開価格の1.5倍を越えれば売却が可能になるといった条件が設定されている場合がある。前述の通り、初値が平均して2倍を超える昨今の上場市場においては、ロックアップの解除規定を満たしやすい状況にある

 結果として、上場後の株価推移はズルズルと下がっていくのがよく見られる傾向です。上場後の大株主からの大きな売り圧力(オーバーハング)を、回転売買を目的とした個人投資家が支えきれてないことが株価下落傾向の背景にあると考えられます。

 上場後、株価パフォーマンスが冴えない状態を短期に脱することができれば良いのですが、中には長期に渡って株価が低迷してしまい、浮上のきっかけを掴みにくくなってしまうこともあります。これが上場後の「死の谷=デスバレー」です。株価が浮上するためにはマクロ要因による後押しが欠かせませんが、経営の現場においては、必要な人材・資金を確保して事業を成長させ、なおかつ投資家に事業の魅力や成長性等を正当に評価してもらい株を買ってもらうといった条件を満たす必要があります。この2つの条件に共通する特徴は、ひとたび株価が下がってしまうと達成するのが難しくなるということです。IPO時にまとまった資金を獲得できていないと、後になって大型のファイナンスをするのは簡単なことではありません。また投資家基盤が十分構築される前に株価が低迷してしまうと、市場での株式の流動性も低下し、大口の機関投資家にとっては手が出しづらい銘柄になってしまいます。

 その結果、新たな資金の出し手が出現しにくくなり、大きな成長が期待される上場後のスタートアップにとって、本来最も重要であるはずの大胆な戦略実行や、成長に必要な大型資金の確保ができないという悪循環に陥りかねません。一度ハマりこんでしまうと「死の谷=デスバレー」は、蟻地獄のように脱出するのが難しい構造になっているのです。

備えがあれば上場後のデスバレーは回避できる

 果たして、この上場後のデスバレーは回避することができるのでしょうか。この点、私は上場後デスバレーの回避は可能であると、前向きに考えています。まず、なぜデスバレーが存在するのか、その要因を明確に把握することが第一歩ではないでしょうか。登山家は地図を入念に調べ、天候を確認し、必要な装備を持つといった事前の準備をしっかりと行ったうえで登山に臨みます。上場にあたっても、事前にIPO後に潜む危険を想定したうえで、それに向けた準備を整えておけば、デスバレーを回避することは十分可能だと思うのです。

 会社をゼロから立ち上げる段階では、製品やサービスのアイデアを具体化していくことが必要です。製品やサービスの骨子が固まり、立ち上げが上手くいくと、次に製品・サービスの販売を事業として成立させていくことに主眼が移ります。もし仮に事業化がある程度成功したとしても、起業家が上場後に向けて十分な想定を行わず、上場に際して「一定のPL(損益計算書における売上や営業利益など)を投資家に示せばよい」といった程度の心構えで臨むと、企業の持続的な成長や本質的な競争力の強化以上に、目の前のPLを作っていくことが最優先になってしまいます。ただ実際には、株主基盤や資本政策、組織設計、インセンティブ設計といった様々な論点を十全に整え、上場に臨まなければ、そこで会社の成長がピークアウトしかねません。こうしたテーマはどれも、上場後から準備するのでは十分に対応するのが難しい論点です。デスバレーに対する備えというのは、言うは易しで、多くの経営者が頭を悩ます問題ではあります。しかし、上場後も持続的な成長を実現するためには、直視しなくてはなりません。

 日本のスタートアップには上場前に潤沢な資金が流れる素地が整いつつあります。しかし、少なからぬポストIPO・スタートアップが、上場後のデスバレーに陥っているのが現状です。近年、上場する企業は増加傾向にありますし、そうした中から東証一部に市場変更する企業も増えています。将来を担う未来の大企業予備軍がどんどん現れているのは歓迎すべきことです。こうした流れをさらに押し進めていくうえで、ポストIPO・スタートアップが上場後のデスバレーを超えられるか否かは、シリコンバレーとは異なる形で日本のスタートアップ・エコシステムを構築するうえでの分水嶺になるのではないでしょうか。

 日本にも有望な若い企業が多数存在するということが世界から認知されれば、日本の将来は大きく変わり得るはずです。ポストIPO・スタートアップがデスバレーを乗り越え、世界の目留まるステージまで上ることができれば、日本の良さが更に大きく花開くのではないでしょうか。ポストIPO・スタートアップと資本市場、その両者の距離を縮めていくことがそのきっかけになると、私は確信しています。

村上 誠典
シニフィアン株式会社共同代表
兵庫県姫路市出身。東京大学にて小型衛星開発、衛星の自律制御・軌道工学に関わる。同大学院に進学後、宇宙科学研究所(現JAXA)にて「はやぶさ」「イカロス」等の基礎研究を担当。ゴールドマン・サックスに入社後、同東京・ロンドンの投資銀行部門にて14年間に渡り日欧米・新興国等の多様なステージ・文化の企業に関わる。IT・通信・インターネット・メディアや民生・総合電機を中心に幅広い業界の投資案件、M&A、資金調達業務に従事。