COLUMN

Post-IPOスタートアップは市場リスクの低減を目指せ —日本の株式市場のあり方に関する試案— Vol.4

2019.02.23

事業リスクの大きいスタートアップは上場後、どのようにすれば長期投資家からリスクマネーを獲得することができるのか、その鍵は市場リスクを低減することにあるのではないでしょうか。 東証1部への上場基準が厳格化するであろうことを前提に、スタートアップがとるべき資本政策のオプションについて考えます。

本コラムの内容は、東京証券取引所主催の「市場構造のあり方等に関する懇談会」におけるシニフィアン株式会社の発表内容をベースに、スタートアップの経営にも密接に関わる日本の株式市場再編の議論について解説する5回シリーズの、第4回の記事です。 Post-IPOスタートアップが直面するリスクマネー獲得の課題を解説した前回の記事は、こちらをご参照ください。

(文責:小林賢治)

急成長を狙うスタートアップが目指すべき道筋

 2019年現在、進められている株式市場再編の議論において、マザーズなどの「エントリー市場の位置付けの明確化」は大きな論点の1つに挙げられています。現状のマザーズでは、上場後に事業成長に向けたリスクマネーの獲得が難しいことは前回に述べた通りですが、Post-IPOスタートアップがこうした状況を打破するためにはどのような取り組みが必要なのかを考えてみましょう。

 本シリーズの第2回では、市場全体を「事業リスク」と「市場リスク」という2軸のマトリクスで整理しました。  現状のマザーズでは発行体にとって望ましい形でリスクマネーを受け取ることが難しいことは前回に述べたとおりですが、一方で東証1部への指定替えのハードルも何らかの形で厳しくなることが予見されます。

 事業リスクの大きいスタートアップにとって、マザーズ(事業リスク:大/市場リスク:大)での資金調達が難しく、東証1部(事業リスク:小/市場リスク:小)に昇格するのも難しくなるということだと、2軸のマトリクスで目が向くのが、左上象限の?マークの領域(事業リスク:大/市場リスク:小)です。

 新興市場に上場するPost-IPO スタートアップの多くは、社歴・事業歴が短く、過去のトラックレコードが限定的です。また多くの場合、投資フェーズにあるため利益が大幅にぶれやすく、赤字に陥ることも少なくありません。新しいサービスやテクノロジーが出現しやすく、競争環境が大きく変化しやすいといった理由から、必然的に事業リスクは大きくなるのです。

 こうした特徴はスタートアップであれば当然にして直面する状況であり、急成長を企図する新興企業に「右側にシフトせよ(=事業リスクを低減せよ)」と要求することは、かえって将来の成長ポテンシャルを失わせることに繋がりかねません。

 だとすれば、残るオプションは「左下(事業リスク:大/市場リスク:大)から左上へのシフト(事業リスク:大/市場リスク:小)」こと、すなわち市場リスクを低減することです。ここでもう一度、第2回に述べた市場リスクの意味を確認しましょう。

 市場リスクには様々な要素が含まれますが、ここでは特に、株式売買と価格決定という株式市場の2つの役割が機能しているかどうかに注目して考えています。

 前者の売買機能は、投資家がまとまった量を売買できるだけの株式のトレーディング量、すなわち流動性があるかどうかによってリスク度合が判断されます。他方、後者の価格決定機能は、日々の取引が一部の(=特定方向に傾きやすい)市場参加者に依存するものではなく、幅広い志向性を持った投資家の間でなされるかどうかによってリスク度合が判断されます。

 第3回でも見た通り、現状のマザーズには確かに高い“流動性”があります。  ただこれは、限られた流通株式(東証の定義に基づく流通株式ではなく、実質的に市場に放出されている株式をここでは指しています)が高頻度に売買されることによって生まれている流動性に過ぎません。ひとたび大口の機関投資家が買い上がれば、一気に市場から流通株式が捌けてしまうような状況にあることが少なくないのです。

 また、日々の取引の多くが個人中心によるものであり、かつ短期志向の投資家に偏っているため、事業の本質的な評価(ファンダメンタルズ)よりも日々のちょっとしたニュースに左右されがちなのです。

 第3回に述べたような「専門的な審美眼を持った長期投資家」からすれば、買い上がろうにも十分な流通株式がなく、イグジットの際のリスクも高い上に、株価が事業の本質に関係のないことでブレてしまってボラティリティが高い(リスクが高い)新興市場の上場企業は、会社が良いかどうかを評価する手前の、投資対象になりえない企業群に陥ってしまっていることが少なくありません。

 機関投資家の中には、こうした「ファンダメンタルズに基づかない株価形成」や「高いボラティリティ」をアービトラージの好機と捉え、積極的に選好するタイプも存在します。ただ、ここでは成長企業にリスクマネーを提供する存在として、長期的な保有を企図するロングオンリーの投資家にとって望ましいか否かという観点を重視しています。

 なお、本稿の趣旨は、「ロングオンリーの投資家のみが市場に存在すれば良い」というものでは決してありません。多様な投資家による相互作用によって、金融市場は機能するものであり、特定の投資スタイルの投資家を否定するものではありません。

 一方で、日本の新興市場においては長期目線で発行体を支え、適切なガバナンスプレッシャーを与えうるリスクマネー提供者があまりにも少ないことを踏まえると、ロングオンリー投資家が新興市場に参入することのインパクトは相応に大きいものと、筆者は考える次第です。

長期投資家の投資対象に入るために

 それでは、市場リスクを下げて、ロングオンリーの投資家の対象となりうるための「足切りライン」を通過するにはどうすれば良いのでしょうか。

 本質的に「魅力のある発行体企業」であることが重要なのは言うまでもありませんが、同時に、投資家も企業を評価するにあたって一定のコストを負っている以上、評価を受けるための最低限の必要条件として、市場リスクを低減しておくことが必要です。

 この点、Post-IPO スタートアップが市場リスクを低減するために必要なことは、IPO時のオファリングサイズ(売出+増資)を大きくすること(端的には100億円以上が一つの目安)であると、筆者は考えています。これにより、発行体目線から見える風景が大きく変えることでしょう。

 まずもって、オファリングサイズを大きくすれば、市場で実際に流通する株式が多くなります。大量保有報告書の情報を元に新興の上場企業に実際に投資しているロングオンリー投資家の例を見ると、1社に対して数十億円前半(数百億円の時価総額の会社の5%程度)の規模で投資をしているケースが多いようです。

 この規模から考えると、オファリングサイズが50億円以下では小さすぎると言わざるを得ません。100億円を目安としたのは、ロングオンリー投資家が最低ラインとするであろう投資ロットを踏まえてのものです。

 また、主幹事証券会社と足並みを揃えるという観点からも、オファリングサイズが大きいことは重要です。  2015〜2017年のマザーズのオファリングサイズの中央値は11億円です。これに主幹事となる証券会社の一般的なフィー水準と言われる8%を掛けると、主幹事の取り分は1億円に届きません。

 一方で、どんなに小さなIPOであっても、主幹事はチームを組成して年単位のコミットをしなければなりません。証券会社の立場からすると、負担しているコストと比較して、IPOの主幹事フィーだけではビジネスとしての旨味がありません。その結果、小さなIPOに対しては、必然的に標準化した対応がベースとなってしまうのです。

 わずかなフィーしか得られないのであれば、「上場前に海外投資家向けのNDR(Non Deal Roadshowの略。資金調達などのディールを行わない状況で投資家に会うこと)を実施してほしい」「PDRR(Pre Deal Research Report)を買いて欲しい」といったオーダーメイドの対応に主幹事が応じづらいのも、無理はありません。

 発行体からのフィーの上乗せが望めない状況で主幹事会社が収益を上げるためには、上場後の「販売(Sales)」で手数料を多く取ることが必要になります。  そのためには、長期で保有し続ける投資家よりも、短期に高回転で売買を行う投資家に多くの株式を割り当てた方が、少なくとも収益面では主幹事である証券会社にとって合理的であるということになるのです。

 実際、マザーズへのIPOでは、IPO時に個人投資家に80%を割り当てるのが一般的です。機関投資家への割り当ては20%にすぎません。海外投資家ともなるとごく一部の割り当てになっています(参考:日本証券業協会)。  オファリングサイズが大きくなれば、流通株式の点でロングオンリーの長期投資家の投資対象となる可能性も高まり、興味を持つ投資家層が広がることでしょう。

 また、主幹事証券会社へのフィーが大きくなれば、主幹事に対してもより積極的な関与を動機づける経済的なメリットを呈示することができます。海外投資家とのNDRアレンジやPDRRなど、IPO後の成長に向けたサポートを期待できる余地が広がるのです。

 このように、オファリングサイズを大きくすることは、単に調達金額が大きくなるだけでなく、発行体にとって大きなメリットをもたらす可能性があるのです。

なぜ上場時のオファリングサイズは大きくならないのか

 オファリングサイズは、発行体の意思で自由に決められるわけではありません。実際には、下記のような要素を総合的に勘案した上で決まります。

1. 発行体の資金ニーズ(増資額に関わる)

2. 投資家サイドのアペタイト(投資意欲)

3. 既存株主がIPO時の売出に応じてくれるかどうか(売出額に関わる)

 1の「資金ニーズ」について、かつてはインターネット系企業(特にゲーム、メディアなど)を中心に、既存事業でキャッシュが回るため資金ニーズがそれほどない(IPO時にそれほど調達する必要性がない)企業が新興市場に少なからず上場していました。そのような会社であれば、必然的にオファリングサイズも小さく収斂しがちです。

 一方で昨今では、メルカリのように海外に積極投資をする企業や、投資回収に時間を要するSaaS型ビジネス、バイオベンチャーなどの研究開発型ビジネスなど、上場後の成長に向けて大きな資本が必要になるケースが増えてきています。

出所:KPMG 「2018年のIPO動向について

 2018年IPOにおける資金調達額上位5社のうち、4社がマザーズ上場企業だったことも、こうした潮流の変化を端的に示していると言えるでしょう。

 また、2の「投資家サイド」のアペタイトについてですが、日本の新興市場でも徐々に変化が出てきています。

 2016年には、「誰が最も多くのユニコーンに投資しているか」が話題になりました。この時トップだったのは、セコイアやアンドリーセン・ホロウィッツといった名だたるVCではなく、大手機関投資家ではなく、フィデリティ・インベストメントだったのです。

(出所:bizjournal, ‘Which investor has the biggest ‘unicorn herd?’ It’s not a VC firm’, Sep 20, 2016。尚、フィデリティとウェリトンはUberにバリュエーション$68Bで投資しており、フィデリティ、ティー・ロウ・プライス、ウェリントンいずれもAirBnBにバリュエーション$30Bで投資している)

 このランキングを見ると、著名なVCに混じって、1位にフィデリティ、5位にティー・ロウ・プライス、7位にウェリントンと、長期目線の投資家として名高い超大手機関投資家陣が名を連ねています。未上場株と上場株といったアセットクラスのクロスオーバーが起こっていたわけです。

 今まで日本では、このような超大手機関投資家(その多くは、VCよりも圧倒的に資産運用額が大きい)が新興企業に実際に投資をする例は皆無といっても過言ではありませんでした。こうした状況に一石を投じたのがラクスル社です。

 同社の目論見書によると、ラクスル上場の9ヶ月前にフィデリティが5%超の大株主に加わり、上場後も継続して保有しています。

 また、2019年に入り、国内SaaS企業の雄として未上場企業としてトップクラスの企業価値になっているSansan社が、ティー・ロウ・プライスからの出資を受け入れています

 他にも、エジンバラの長期投資家として名高いベイリー・ギフォードが日本国内の未上場企業に投資するなど、海外のロングオンリー投資家の本邦新興企業への投資意欲は高まってきています。

 それでは、オファリングサイズ大型化のボトルネックになっているのは、一体何なのでしょうか?  この点、筆者は3の「既存株主のIPO時の売出意欲の低さ」が原因なのではないかと考えています。

 未上場スタートアップの既存株主であるVCは、ファンド出資者(LP)に対してより多くのリターンを創出する受託者としての責任(フィデューシャリーデューティー)を負っている以上、発行体の成長を促進すると同時に、リターンの最大化をはかる必要があります。

 日本ではIPO時の公開価格が非常に低く抑えられる傾向があります。IPO時の売出に応じて保有株式を公開価格で売却すると、非常に安値でイグジットすることになってしまい、VCはリターン最大化の責任を果たせないことになりかねません。

 特にマザーズでは、初値の騰落率が100%超となることが一般的(2018年では平均値127%、中央値108%。各種データベースよりシニフィアン分析)であるため、「IPO時には売らず、初値から大きく吹き上がったタイミング(多くの場合、初値から一定倍率以上に株価が上がれば売却制限が解かれる)でイグジットする」ことが王道パターンになっているのです。  こうした既存投資家の行動は、過去のマザーズ上場企業のIPO以降の株価推移を考えると、極めて合理的なものであると言えます。

 ラクスル社の場合、既存株主がIPO時に保有株式の売出に応じており、 公開価格ベース412億円という時価総額に対して、188億円という非常に大きなオファリングサイズを実現しています(オファリング・レシオ:45.8%)。

 以上を踏まえると、改めて問うべきは、発行体企業であるスタートアップ経営者の努力が足りているのかという点です。自社の資本戦略を長期的に考え、上場後の新たな長期目線の株主を探し出し、既存株主からうまくバトンを渡すという努力を、発行体企業の経営者は真摯に取り組んでいるのでしょうか。

 多くの上場新興企業が、マザーズ上場時にこのような資本政策を実現できていないということは、こうした取り組みの欠如は個社固有の問題ではなく、新興企業全般に共通した知識・経験不足による問題と捉えるべきでしょう。  この点、ラクスルのIPOは新興企業の過去事例から大きく逸脱したケースだったことは間違いありません。

Disclaimer: シニフィアン共同代表の朝倉は、ラクスル社の社外取締役を務めています。

第1回:スタートアップ関係者のための、株式市場再編に関する論点と影響 —日本の株式市場のあり方に関する試案— Vol.1

第2回:事業リスクと市場リスクの2軸で考える株式市場の棲み分け —日本の株式市場のあり方に関する試案— Vol.2

第3回:Post-IPOスタートアップが直面するリスクマネー獲得の課題 —日本の株式市場のあり方に関する試案— Vol.3

小林 賢治

シニフィアン株式会社共同代表 兵庫県加古川市出身。東京大学大学院人文社会系研究科修了(美学藝術学)。コーポレイト ディレクションを経て、2009年に株式会社ディー・エヌ・エーに入社し、執行役員HR本部長として採用改革、人事制度改革に従事。その後、モバイルゲーム事業の急成長のさなか、同事業を管掌。ゲーム事業を後任に譲った後、経営企画本部長としてコーポレート部門全体を統括。2011年から2015年まで同社取締役を務める。 事業部門、コーポレート部門、急成長期、成熟期と、企業の様々なフェーズにおける経営課題に最前線で取り組んだ経験を有する。