INTERVIEW

【テンポイノベーション】度重なるオーナー企業の交代とビジネスモデルの確立 Vol.1

2018.02.10

中食・内食志向の高まりもあって、今まで以上に競争環境が熾烈になっている飲食業界。東京都内を中心に店舗の出店・撤退が繰り返されていますが、こうした動きをビジネスチャンスとして捉えるのがテンポイノベーションです。不動産オーナーから賃借した店舗物件を飲食店テナントに転貸するという事業を展開し、不動産仲介業やプロパティマネジメント(不動産管理業)とは一線を画した事業を展開します。建物を一括借り上げするサブリース事業とも異なり、この事業に特化したオンリーワンの存在です。2017年10月に上場した同社の強みと今後の可能性について、原代表取締役から話を伺いました。事業の詳細については、「成長性に関する説明資料」をご参照ください。

原康雄(はら やすお)

2005年11月にテンポイノベーションの前身に入社。2008年5月に同社取締役営業部長となり、現在のビジネスの原型となる事業の立ち上げを指揮。2011年6月に代表取締役に就任して現在に至る.

2005年4月設立のテンポイノベーションは、東京都内の居抜き飲食店の買取りに的を絞った「店舗買取り.com」と、出店を計画しているテナント向けの「居抜き店舗.com」を運営。これらのサイトを通じて集めた情報をもとに、不動産オーナーに転貸を前提とした賃貸契約を提案。2017年12月末の時点で保有賃貸物件数は1181社、登録出店希望者数は48018社に上り、2016年度の年間成約実績数は307店舗に。2016年度(2017年3月期)売上高約58億円、営業利益約3億円。証券コードは3484。

(ライター:大西洋平)

「牛角」の内装施工を手掛ける子会社として発足

村上誠典(シニフィアン共同代表。以下、村上):御社はオーナーが何度か交代する中で、次第に現在のビジネスモデルを確立されていったと伺っていますが、簡単に経緯についてご説明いただけますか?

原康雄(テンポイノベーション代表取締役。以下、原):もともとテンポイノベーションは外食チェーンのフランチャイザーであるレインズインターナショナルの子会社として設立され、牛角の内装施工を手掛けていたので、当時の社名はテンポリノベーションでした。各事業部を積極的に分社化していくというのがその頃のレインズインターナショナルの方針だったのです。また、コンビニのam/pmや高級スーパーの成城石井を傘下に収めるなど、M&Aによる多角展開にも積極的でした(注:am/pmは後にファミリーマートが子会社化。現在、成城石井はローソンの傘下に)。

村上:レインズインターナショナルは御社を設立した直後にレックス・ホールディングスに社名変更し、やがてMBO(経営陣による買収)に伴って非上場しましたね。2011年には同じく外食のコロワイドの傘下に入って、再びレインズインターナショナルに社名を戻しています。当時の同社を取り巻く環境変化はいろいろと大変だったように記憶しております。

原:生々しい話ばかりで、とても記事に書けるような話ではありませんよ(笑)。私はレインズ出身ではなく、テンポリノベーションの設立直後の2005年11月に転職してきた人間です。

村上:では、なぜテンポリノベーションに転職したのですか?

原:テンポリノベーションは設立初年度から35名程度の社員でレインズ傘下の「牛角」の内装を手がけ、35億円の売上を稼いでいました。当時の経営者は牛角の内装だけに依存していることに少なからず危機感を抱き、グループ外の案件を開拓し始めていたのですが、外食出身の社員ばかりで営業のノウハウがありませんでした。そこで、幹部候補の営業担当者を募集し、たまたまその求人広告を目にした私が採用された次第です。「幹部候補」というのが私が目を付けたポイントでした。

村上:その頃から、現在のビジネスモデルに近い形だったのでしょうか?

原:いえいえ。まだビジネスモデルは確立されておらず、当初は資産リースの形態でした。店舗物件はスケルトン(内装設備がない状態)で借りてスケルトンに戻して返すというのが常識の時代だったので、当社が飲食店の内装費を立て替え、家賃とは別にリース料を頂戴するという出店支援ビジネスです。年間220件程度の契約獲得を計画していたのですが、資金を立て替えるので1件当たり最低でも1000万円前後の持ち出しが発生します。つまり、22億円の資金が手元に必要となるわけですが、実はそのアテなんてなかった。それに、資産リースは金融系のビジネスですから、シロウトが手を出してそう簡単に上手くいくものではありません。当時のレックス・ホールディングスは威勢がよかったものの、勢いだけで突っ走って、細かい戦略が練られていなかったのです。

村上:店舗数や業態の拡大も急ピッチでしたからね。

原:その矢先にレックス・ホールディングス本体の経営が傾き始め、財務体質は悪化の一途をたどりました。そこで、MBO(経営陣による買収)によって立て直しを図ろうとしたわけですが、そのタイミングでファンドの資金が入り、不採算部門の整理(売却)を求められました。私としては、まさに神風が吹いたと思いましたね。

むしろ、売却されたことが好都合だった!?

村上:つまり、レックス・ホールディングスから切り離されたほうがよかったと?

原:レックス・ホールディングスの傘下に入っている限り、私たちのビジネスはなかなか発展していかないと思っていたからです。なぜなら、たとえば牛角と競合する他社の焼き肉店には営業を展開できないといった具合に、あれやこれやと制約が多すぎたからです。しかも、レックス・ホールディングスにとってはメインのビジネスではないだけに、なかなか決裁が下りなくてお金も使えない。

村上:大手企業の傘下ならではの典型的な悩みですね。

原:そんな中、実は、とあるIT関連企業が買収に関心を示したのですが、メインのビジネスで非常に強い存在感を示しているところだったので、その傘下に入っても環境にあまり変化はなさそうでした。だから、「もしもその会社に売るなら、私を含めた全社員が辞める」と言って断固反対し、自分たちで売却先を探すことにしたのです。

村上:それで、今のオーナーを見つけてきたということですか?

原:いいえ。まだその手前の話です。全部で3回の奇跡が起きていますから(笑)。最初に身を置こうと決めたのはテレウェイヴ(現アイフラッグ)という会社です。私たちと同じようなビジネスを手掛けている事業部をもっていたので、それと合体させればマンパワーも増えると思いました。

村上:ようやく事業の成長の制約から解放されるオーナーを見つけてこられたのですね。それで巡分満帆とならず、次の奇跡が必要になったのはなぜでしょう?

原:ところが、テレウェイヴも経営上の不祥事が発覚したうえに業績不振に陥り、またしても子会社を売却するという話になったのです。なので、やはり自分たちで次の売却先を探すことにしました。

村上:短期間で2度目の売却、それを親会社ではなく子会社自身で探してくるとは、なかなかない事例ですね。ちなみに、原さんはまだ代表取締役に就任される前のことですよね?

原:まだ営業担当部長のままです(笑)。私はこの会社に入ったときから、会社の大きな資本を動かして大きなビジネスをやりたいと思っていました。言わば、「お金のリスクを背負っていない創業者」のような感覚で取り組んできたわけです。

村上:だから転職の際に「幹部候補」に拘られていたのですね。結果、売却先はどのように見つけられたのでしょう?

原:実際に当社の3代目代表取締役を務めていたのは当時のテレウェイヴの役員の1人で、たまたま彼が現在のオーナー企業であるクロップスを探し出してきました。そして、クロップス代表取締役会長の前田さんに私たちのことを気に入っていただいて、わずか1カ月で話がまとまり、売却額も前回よりも高額になりました。

村上:それが2009年7月のことですね。前年には金融危機があり、マクロ経済的には厳しい状況下にも関わらず、よく良い条件で売却がまとまりましたね。その逆境下でもビジネスが拡大していたということなのでしょうか?

原:いや、まったく拡大していませんでした(笑)。M&Aの度に社員も辞めていって、当初は35名だったのが一時は6名にまで減り、クロップスに移ったときも10人前後しかいませんでしたから、売却できたのは奇跡ですね。当社の「成長可能性に関する説明資料」では「迷走」と表現されている時期ですが、本音を言えば、自分たちとしては度重なる親会社の変更も含め、概ね計画通りの展開になってくれました。まあ、会社の継続のためになりふり構わず動いていた時期だったことは確かですが。想定外だったことは、強いて言えば、ここまで来るのに13年もかかったことですかね。しかしそれは、自分で身銭を投じて創業したわけではないのでやむをえません。

テンポイノベーション「成長可能性に関する説明資料」より

村上:原さん主導の現経営体制が本格的に始動した2011年7月から、居抜き物件転貸という現在の事業に一本化するわけですね。このフェーズは、「成長可能性に関する説明資料」で「第2の創業」と位置づけられています。

原:実は、前任者が任期満了で辞めた後、クロップスの前田さんに呼ばれて社長就任の要請を受けました。でも、「人望があって聡明な志村(現常務)が社長になったほうがいい」と私は返答しました。純粋に、そのほうが会社として上手く機能すると考えたからです。すると、前田さんから「社長を務める自信がないのか?」と聞き返されました。その言葉が私の中のスイッチを押しましたね。「自信がないわけがないでしょ!」と。こうしてトップに立つ決心がついた途端、自分の中で霧が晴れたようにパラダイム転換が起きました。会社とは、社長がビジョンと理念を示さなければ前進しないものです。就任を決めてから1時間後には、サービス業ではなく不動産業こそ当社がめざしていることだという方針が私の中で明確になり、店舗転貸事業へと大きく舵を切っていきました。

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