INTERVIEW

【西條晋一】サイバーエージェントで藤田社長から学んだこと Vol.1

2018.04.06

サイバーエージェント専務取締役COOとして数多くの子会社経営に取り組み、WiLの共同創業者兼ジェネラルパートナーとしてベンチャー投資やQrioの経営などを手がけていらした西條晋一さん。新たにXTech、XTech Venturesを立ち上げる西條さんに、過去の経営、投資経験、並びに新会社の構想を伺います。

西條晋一(さいじょう しんいち)

1996年早稲田大学法学部卒業後、伊藤忠商事に入社。2000年サイバーエージェントに入社。サイバーエージェントFX、ジークレスト、サイバーエージェント・ベンチャーズなど多くの新規事業を立上げる。2004年取締役就任。2008年専務取締役COOに就任、2010年から約2年間シリコンバレーに駐在。2013年コイニー取締役。2013年WiL共同創業者ジェネラルパートナー。2014年Qrio代表取締役(現任)。2017年トライフォート社外取締役(現任)。2018年XTech、XTech Venturesの2社を創業。

(ライター:石村研二)

徳島でプログラミングにはまった少年時代

朝倉祐介(シニフィアン共同代表。以下、朝倉):これから西條さんが新しい会社を立ち上げられるにあたり、今まで取り組んでこられたお仕事の内容について伺いたいのですが、まずは上場前のサイバーエージェントに入られた経緯について教えていただけますか?

西條晋一氏(以下、西條):僕は徳島西部の出身なんですが、小学校4-5年生の時に近所の電気店にパソコンが展示してあって、それでゲームをして遊んでいたんです。ある日、そのパソコンでプログラミングができると知り、タダでゲームができるならと思って、書店で『ゲームセンターあらし』(1979~83年にコロコロコミックなどに連載された漫画)のキャラクターがプログラミングを学んでいく『こんにちはマイコン』という漫画を買いました。それを見てお店でプログラミングをして……というのを1年くらいやっていたら、親がパソコンを買ってくれたんです。

それで、高1くらいまでプログラミングをやっていました。ゲームのストーリーを考えたり、方眼紙にドット絵を描いてキャラクターを作ったり。ゲームをプレイするより、作るほうが楽しかったですね。そうした体験もあって、就職活動をしていた頃は「パソコンに関わる仕事がしたい」と思っていました。ところが、当時だとまだ今のようなインターネット業界がなかったので、まずは商売の勉強をしようと思い、商社に入りました。

4年くらい勤めて、2000年くらいにインターネット業界というものができあがってきたので転職しようと。転職エージェントに頼んだら、すぐ社長面接を設定すると言われた会社の一つがサイバーエージェントだったんです。当時の藤田(晋社長)さんの「ベンチャー企業社長の日記」(今でいうブログ)や取材記事とかを見ると、同い年ですけどしっかりしているなぁと思うことが書いてあったし、ウェブ関連の事業でパソコンも使えるからいいなと思って入りました。

朝倉:伊藤忠とサイバーエージェントでは、雰囲気がかなり違ったんじゃないですか?

西條:僕が入ったとき、サイバーエージェントは表参道の金ピカのビルに入っていました。平均年齢が24~25歳と若いし、新卒内定者でもバリバリ働いていましたね。それが非常にたくましいというか、僕は大企業で4年間も社会人をやっていたのに、自分とは比べ物にならないくらい動きがいいわけですよ。すごいなと思うと同時にかなり焦りました。

「アリが迷路の中を総当たりで向かう」ような社員の力強さ

朝倉:上場直前(サイバーエージェントは2000年3月東証マザーズ市場に上場)に入社なさっていますが、サイバーエージェントはドットコムバブルがはじけて一度は株価が急激に下がっています。そこからまた、じわりじわりと上がってきたわけですが、この間の会社の雰囲気はどういったものでしたか?

西條:上場する直前に渋谷マークシティ(東京・渋谷駅直結の商業複合ビル)の21階にある600坪のオフィスに移ったんです。当時はまだ社員が70人くらいだったのでガラガラでした。いいビルに入ることでモチベーションを上げてさらにいいビルを目指す、というようなカルチャーが当時あったんですね。だから、すごい高揚感がありました。でも、そこからITバブルの崩壊がありました。業績が悪いとどうしても雰囲気が悪くなって、マネジメントではいかんともし難いんですよね。

ただ、そのきつい時に入ってきた新卒の人たちには、「僕たちがなんとかするぞ」といった雰囲気がありました。今の幹部層にはそういう人たちが多いんですよ。そこをやめないで乗り切れた人たちは強いですね。結局、サイバーエージェントには12年在籍しました。長くいたのは会社がずっと成長していたからです。転職時の40人から何千人に成長する過程を本体の役員として経験しつつ、自分で好きな会社を立ち上げられる環境にもいたので、面白くてやめるタイミングがなかったですね。

朝倉:サイバーエージェントさんは、市場がある程度立ち上がった時に後から追いついて追い抜くのが得意という印象があるんですが、その極意はどういった点にあるんでしょうか?

西條:一つは、新規事業に惜しみなく経営資源を投入し(事業の)数打つことですね。それから最終的に追いつけるのは、単純に人間が優秀というか、ものすごい熱量で必ずやりきろうとする人たちがいるからです。アリが迷路の中を総当りで出口に向かうみたいな力強さがある。ただ事業によって得意不得意はあると思います。他の会社に行ったり自分で会社をやったりすると感じるギャップは、そこまでして仕事をやりきる人やカルチャーを作れないということです。優れた人事制度や新規事業の仕組みが簡単に真似できないというか、再現するのが非常に難しい。そこがすごいんじゃないでしょうか。

朝倉:カルチャーそのものですね。

西條:そう、カルチャーはベンチャー企業にとって極めて重要ですが、一朝一夕では作ることができません。中長期でしっかりと取り組むべき課題です。しかし、多くの企業では目先の事業を伸ばすことにとらわれすぎて、肝心のカルチャーを作る仕事がおろそかになっているのが実情ですね。

子会社立ち上げの勝率は6-7割

朝倉:サイバーエージェントでは子会社を何社も立ち上げられていますよね。何社くらい手がけられたんですか?

西條:本社事業部を除く子会社だと8社ですね。最初はメールイン(2000年設立、2001年GMOに売却)というメールメディアでした。思い出に残っているのが、立ち上げ直後の藤田さんとのやりとりです。初めての会社経営ということもあり、どこに出稿したらユーザーを効率よく獲得できるのか、メディアレップのDACやCCIの媒体資料を見ながら悩んでいたんですね。そうしたら藤田さんがやってきて「何やってんの?」と聞くので、「どの媒体に出稿したらいいか考えている」と答えたら、「いいから全部出して」って言われたんです。

その時にはっと気づいたんですが、当時のメディアってユーザーが100万人とか200万人という規模にならないと、広告が取れないからメディアとして成り立たなかったんです。だから、そこまでいかないとスタートラインにすら立てない。つまり、獲得効率の問題じゃないんだってわかった。それで、さすがに全部ではないですけど1億円くらい使ってほとんどの媒体に出したら、ユーザーがバーっと集まって半年くらいで単月黒字になりました。そういう本質論は藤田さんから多く学びました。

朝倉:その後も、次々と子会社の立ち上げを?

西條:買収した赤字の会社を黒字化する際に社長をやったりもしましたが、その後は金融系、今で言うフィンテックを中心に色々やりました。入社するときから「将来起業する予定なので新しいことをやらせてほしい」と言っていて、藤田さんの管轄ではない新規事業を意識して金融やゲーム事業を仕掛けました。

一時期、投資して経営に携わっていたのがジェット証券(2005年第三者割当増資で持ち分法適用会社化)ですが、参入が遅すぎたこともあり、テコ入れしてオリックス証券に売却しました(2009年)。他に、サイバーエージェントFX(2003年シーエー・キャピタルとして設立。2006年社名変更、2013年ヤフーに210億円で売却)、株価を予想するウェブサービスの会社(フィナンシャルプラス。2006年設立、2007年フィスコに売却)も経営しました。

あとはジークレスト(2003年設立)とサイバーエージェント・ベンチャーズ(2006年設立)を立ち上げて、ドロップシッピングの会社(ストアファクトリー。2006年設立)もやったんですが、これは市場を読み違えてしまい、あまりうまくいかなくて1年で閉めました。メンバーが優秀でも市場を読み違えるとどうにもならないことを学びました。

ほかに、事業を買ってきて、別の社長を据えたこともあります。ウェディングパーク(2004年買収)は、藤田さんに「グーグルの検索結果って、どうやったら上にいくの」って聞かれて、当時はまだ僕もわからなかったので「上のほうに出るサイトを買収すればいいんじゃないですか?」って答えて、ウェディングで検索したら一番上に出てきたのがウェディングパークだったから株主を調べて買収したんです。