COLUMN

産業としての日本モバイルゲーム史をふりかえる

2020.03.22

モバイルゲームは過去20年の間で大きく発展した市場の1つです。先日、ゲームメディア・電ファミニコゲーマーは「日本モバイルゲーム産業史」というプロジェクトを発表しました。モバイルゲーム業界の当事者目線で、過去20年の同産業の歴史をふりかえります。

本稿は、Voicyの放送を加筆修正したものです。

(ライター:代麻理子 編集:正田彩佳)

20年のモバイルゲーム史をふりかえる

朝倉祐介(シニフィアン共同代表。以下、朝倉):先日、電ファミがDeNA特別協賛企画として、「日本モバイルゲーム産業史」というプロジェクトを発表しました。日本のモバイルゲーム産業を体系化し、当事者たちの証言・記録とともに一年間かけて詳しく掘り下げていくという内容です。

シニフィアンのメンバーも、モバイルゲーム業界には一定の当事者性を持っています。私はミクシィに、小林さんはDeNAに在籍していましたし、村上さんもゴールドマン・サックス在籍時に通信業界を担当していました。この機会に、我々も、過去20年間の日本のモバイルゲーム史について振り返ってみたいと思います。

小林賢治(シニフィアン共同代表。以下、小林):電ファミが発表したこの企画では、1999年のNTTドコモによる「iモード」、DDIセルラーグループ(現KDDI)による「E Zweb」、J-Phone(現ソフトバンク)による「J-スカイ」サービスの開始から記載されています。

約20年間の日本におけるモバイルゲーム史がカバーされており、かなり力を入れて制作された大作と言えると思います。まず、大まかに振り返ると、日本では、世界に先駆けて、iモードを中心としたガラケー用のゲームによって、携帯電話におけるゲームエコシステムが形成されました。

各キャリア主導の公式サイトの存在の横で、いわゆる「勝手サイト」(非公式サイト)として、モバゲーやGREEといった独立型プラットフォーマーがガラケーゲーム市場のプラットフォームとして台頭し、市場の成長を牽引してきました。

朝倉:モバゲーやGREEは当時、勝手サイトという立ち位置でしたね。

小林:はい。当初はそういった立ち位置だったのですが、2006年あたりから2010年にかけて、急速に市場が拡大しました。その後、スマートフォンが普及して、iOS、Android主流の時代へと移り変わっていきました。

そうした流れの中で生まれたのが、『パズドラ』や『モンスト』です。その後、しばらく経ってから『ポケモンGO』が流行する、といった直近の流れの中で、日本勢はプラットフォーマーとしてではなく、ゲームデベロッパーとして事業を成長させていきました。

朝倉:主戦場がガラケーからスマートフォンに移行した後も、2014年頃まではWebベース/HTMLベースでスマートフォン向けゲームを提供する事業者と、スマホアプリでゲームを提供する事業者が併存するという過渡期がありましたね。

小林:そうですね。今となっては懐かしいですが、当時は、「ネイティブ/ブラウザ論争」とでも言いますか、ブラウザかネイティブ、どちらの市場が優勢となるかといった神学論争めいた議論もありました。

直近では2017年にリリースされた荒野行動を筆頭に、日本以外の国が提供するモバイルゲームが日本でも大ヒットするという流れが起きました。これらのことからも分かるように、モバイルゲーム市場の形は、この20年の間で大きく変わりましたね。

「iPhoneなど流行る訳がない」と言われていた2008年

小林:朝倉さんと村上さんは、この20年間で印象的に記憶に残っていることはありますか?

朝倉:私の場合は当時、当事者だったということもあり、やはり2013年にリリースした『モンスト』の大ヒットでしょうか。

小林:なるほど。朝倉さんがまさにミクシィのCEOだったときのことですよね。

朝倉:はい。そのお膳立てとして、ソーシャルゲーム事業において、ミクシィとDeNAで業務提携をし、ゲームの開発基盤を共通化しました。

小林:ありましたね。

朝倉:ただ、個人的な体験としては、2008年のスマートフォンの登場が印象に残っています。2008年はiPhone3Gが日本で初めて発売された年です。私はその年の夏に3Gを購入したんですが、当時在籍していたマッキンゼーの中でも、普段使いでスマートフォンを使用している人は私だけだったと思います。

当時はまだまだガラケー全盛期だったのですね。当時社内に200人程のコンサルタントがいたのですが、私が唯一で、同僚から「研究用ではなくiPhoneを日常で使っているのか?」と珍しがられた覚えがあります。当時のiPhoneは、そもそもキーボードのキータッチが極めて打ちづらかったり、画面を触れてもリアクションが悪かったりしました。

あとはとにかくアプリを起動するとすぐに落ちたんですよね。メーラーを立ち上げたら落ちる、といったことが普通に起きて、日常使いするには忍耐力を要しました。ただ、それ以上に「OSがアップデートされ続けるってすごい!」、「アプリって楽しい!」、「クラウドって便利!」といったことは普段使いすることで実体感しましたし、大きな可能性があると感じていました。

そこから1年程経って、2009年あたりから徐々にゲームアプリを目にするようになったように記憶しています。ちょっとしたサッカーゲームやレーシングゲームのようなものが少しずつ出始めて、それらで遊んでいたのをよく覚えています。今からだと想像がつきませんが、当時は「日本ではiPhoneは流行るわけがない」などと言われていましたからね。

小林:日本のガラケー自体が高性能だったこともあり、そう言われていましたよね。当時、ガラケーゲーム市場では何が流行っていたかというと、「怪盗ロワイヤル」が発表されたのが2009年です。その頃がガラケーゲーム市場の全盛期の始まりだったので、当時「ガラケーじゃなくスマホだ!」と言うと、「君、何を言っているの?」とでも言われてしまうような雰囲気でしたよね。

そのくらい、日本のガラケーゲーム市場は隆盛を極めていました。一方、グローバルで見ると、当時は「スマホかガラケーか」という論争よりも「PCかモバイルか」という論争が主でした。

今となってはもう遠い記憶ですが、“Farm Ville”や“City Ville”、“Mafia Wars”などのゲームが代表作のZynga(ジンガ。米国のソーシャルネットゲーム企業)というプレイヤーがおり、当時のFacebookはゲームプラットフォームと言っても過言ではない程、タイムラインではジンガのゲームの通知が飛び交っていました。そういった時代のことを考えると、Facebook自体も非常に大きな変遷を遂げたことが分かります。

2010年DeNAのngmoco買収。クロスボーダー・クロスデバイス戦略

小林:村上さんは、一連のゲーム史の中で印象に残っていることはありますか?

村上誠典(シニフィアン共同代表。以下、村上):私は、2000年代前半はゴールドマン・サックスに在籍していたのですが、通信業界を担当していました。当時は、アプリデベロッパーの競争より、通信キャリア各社の支配権争いが大きな動きを見せていたと記憶しています。

NTTドコモが海外進出に頓挫して、ソフトバンクからスマートフォンが登場しましたよね。その後、2010年にDeNAがngmoco(米国のソーシャルゲーム企業)を買収しました。発表のプレスを目にした瞬間、私は小林さんに「これ何?」と電話をかけたことを今でもよく覚えています。

小林:そうでしたね(笑)。当時のDeNAの時価総額は約3000億円でしたが、その1割、約340億円をかけてngmoco社を買収しました。

村上:当時私は様々な業界を担当しており、ゲームも任天堂やSONYを中心に見ていたのですが、当時は、DeNAはまだ新興プレイヤーという立ち位置でした。ですが、あのバリュエーションでngmocoを買収し、相当驚きましたね。

先程、iモードの話が出ましたが、10年前は通信キャリアが「これこそがプラットフォームだ!」と主張していましたが、数年後にはアプリデベロッパー各社が同様のことを主張するようになったという意味で非常に印象に残っています。

朝倉:2010〜2011年は、今振り返ると強烈な過渡期でしたよね。auがスマートフォンのCMでレディー・ガガを起用し、大々的に普及を呼びかけていたのもその頃です。笑い話ですが、当時はスマートフォンという存在の理解が十分に進んでおらず、CMのインパクトもあって、「ソフトバンクが出しているのがiPhone、auが出しているのがスマートフォン」なんてことも言われていました。

DeNAがngmocoを買収し、2010年度第四半期の決算説明資料で「X-device(クロスデバイス)/X-border(クロスボーダー)+プラットフォーム」を柱とする成長戦略を発表したことも印象的に記憶しています。

(株式会社ディー・エヌ・エー 2010年度第4四半期 決算説明資料)

朝倉:当時、私はマッキンゼーを退社し、学生時代に起業したネイキッドテクノロジーに復帰していました。同社はガラケーベースのアプリケーションを作るためのミドルウェアを展開していたスタートアップだったのですが、ガラケーだけでなく、AndroidやiPhoneにも1つのソースコードからクロスデバイス・クロスプラットフォームで同じアプリを展開できるようにプロダクトを発展させようと目論んでいました。

その矢先にDeNAの発表があったので、「先手を打たれた……」と思ったのと同時に「鮮やかだな」と感じたのを覚えています。確か『忍者ロワイヤル』を発表したのもこの時期でしたよね?

小林:はい。同時期の2011年です。ngmoco買収の裏で作られていました。

朝倉:『忍者ロワイヤル』はネイティブアプリベースのゲームでしたよね?これはよくできたゲームだったと思います。

小林:はい。当初はMobage(モバゲー)の中でリリースをする予定で、モバゲーと密接に結びついていたのですが、DeNAとしては初めてスマホ専用につくったタイトルでした。朝倉さんが先述した決算説明資料は、実は私が作成しました。DeNAのCEOであった南場智子さんがCEOを退任され、後任として守安功さんがCEOに、私も取締役に就任するというタイミングでした。

当時は、日本からグローバル市場を攻めるチャンスがある、という風潮がありました。まだ、スマートフォンがこれほど急速に普及するという世界は見えていなかった時代です。そうした中で、クロスデバイス・クロスボーダーという戦略を描いたという、私にとっても非常に思い出深い一件です。

村上:決算資料にある、「2014年には売上高の50%を海外から」という成長戦略に衝撃を受けたことを覚えています。

(株式会社ディー・エヌ・エー 2010年度第4四半期 決算説明資料)

村上:当時の時代背景としては、Facebookが翌年の2012年に大型IPOをしています。「ソーシャル」ということ自体がテーマとなっていた頃で、ゲームとソーシャルがクロスし始めた時期でもありました。

そんな背景の中、日本の、ガラケーのプラットフォーマーが「ソーシャル×ゲーム」という軸で海外に打って出るとのことで、ビジョンは大きいけれどどうなるのだろう? と、個人的には懐疑的に見ていたような記憶があります。

小林:当時は市場の読みとして、欧米・中国・その他の国々と日本の市場の比率を、Play Stationのような据え置き型ゲーム機の比率から掛け算して算出していました。実際にその後に起きたことを振り返ると、モバイルゲーム市場もグローバルで大きくなったという読みは正しかったと思います。

(株式会社ディー・エヌ・エー 2010年度第4四半期 決算説明資料)

2015年には予見できなかった、中国プレイヤーの台頭

小林:ただ、正直、ここまでモバイルゲーム市場で中国が中心となるとは想像していませんでした。現在ではモバイルゲーム市場のかなりの規模を中国が占めています。

村上:「コンテンツ」という意味では読みは正しかったということですよね。「ゲームがくるだろう」という読み自体は当てたけれども、市場を牽引する国またはプラットフォーマー、あるいはSNSの普及度などのトレンドをやや読み違えていたのでしょうか?

小林:結果論で言うと、ゲームやソーシャル、プラットフォームという全てのレイヤーを同時に攻める難易度が、やはり相当高かったということなのだと思います。

例えば、Facebookも自社ではゲームは開発せず、SNSやプラットフォームとしての立ち位置を極めるところにフォーカスし、ゲーム開発はジンガなどの他社に任せていたわけですよね。DeNAはそれら全てを同時に取り組むという戦略を出しましたが、難易度が高かったのだと思います。

朝倉:ファーストパーティー(自社でプロダクトを開発する事業者)もサードパーティー(他社プラットフォームに自社プロダクトを提供する事業者)のマネジメントも同時に狙おうとしたけれど……、ということですね。

中国勢の隆盛について覚えているのが、2015年に小林さんと米国で話したことです。当時、私はスタンフォード大学の客員研究員としてベイエリアに住んでいましたが、小林さんがDeNAのUSオフィスを訪れるために渡米していて現地でお会いする機会がありました。

その際に話していたのが、中国のアプリはインターフェイスがこなれておらず、フォントも不自然な明朝体が溢れており、すぐに中国のデベロッパーだとわかる。こうしたインターフェイスの面で、日本人は抵抗を感じるのではないか、ゲーム性がどれだけ優れていても、日本では流行らないのではないか? といった話をしていました。それがたった5年ほど前のことです。

そこから比べると、状況は一変しましたね。1つは、中国メーカーのキャッチアップが非常に早かったということ。もう1つは、ユーザー側の「慣れ」も早かったということでしょうか。

これはグローバルなプレイヤーが展開するサービスに触れている中で、日本っぽくないUI、UXにも慣れていったというユーザー側の変容が大きいのかもしれません。そうでなければ、今のTikTokの成功は説明できないと思うんですよね。2014年、2015年だったら, TikTokは日本ではヒットしていなかったんじゃないかという気がします。

村上:その通りだと思います。2011年に話を戻すと、この年はNEXONが上場しました。同社の上場に見るように、韓国・中国のオンラインゲームの普及は、実は東京の市場でも既に経験されていたんですよね。

Facebookの上場や、NEXON上場、そしてモバゲーのグローバル化など、当時、異なるの国や地域でのプラットフォームの展開が起きていました。

小林:2011年は変数が多い年でしたよね。どこの国がくるのか、そこで主導権を持つのはどういうレイヤーの会社なのか−プラットフォーマーなのか、あるいは、DisneyやバンダイナムコのようなIPホルダーなのか、それとも開発力のあるゲームデベロッパーなのか−、といった議論がされていました。

または、ゲーム開発においてであれば、中国のMMORPGに代表されるような複雑性が高いゲームなのか、今で言う『ポケモンGO』のような単純なゲームなのか、といったことが取り沙汰されていました。各社がどの方向に向かうのかを問われていた時代だったのだと思います。

朝倉:2010年はミクシィがFacebookに対抗して、各国のローカルSNSとの関係強化に取り組もうとしていましたし、2011〜2012年にかけては、GREEやDeNAが東南アジアなどで現地の様々なプイレヤーとアライアンスを組んでいた頃でもあります。

結果としては、どのアライアンスもうまくいかなかったと総括せざるを得ないかと思いますが、まだ過渡期だったからこそ起きた現象でもあったのでしょう。もし今、この時期に戻ったとしても、では何をすればよかったのかというのは、悩ましい点です。

モバイルゲームの興亡が日本のスタートアップにもたらしたもの

村上:そうですね。これらの動向を受けて、SONYは2013年にPlay Station4を発売しました。同社は当時、非常に苦労していたんですね。モバイルゲームの成功を横目で見ていたプレイヤーです。

サブスクリプションモデルでの課金やオンラインゲームから学んで、PS4という据え置き型ゲーム機の位置付けが相当変わったタイミングでした。2010〜2012年のオンラインゲーム・SNS業界のモメンタムは、SONYをはじめ、据え置き型ゲーム機も含むゲーム業界全体に相当大きな影響を与えたと思います。

小林:確かに、モバイルゲームに限らず、日本のゲーム市場全体で言うと、PS4やNintendo Switchなど、日本勢の存在感はこの後にまた復活しています。そういう意味では、モバイルゲームがゲーム業界全体に与えた影響は非常に大きかったと思います。

朝倉:モバイルからの回帰だったんでしょうね。 2012年頃を振り返ると、今では信じられませんが、スタートアップに関する話題は、モバイルゲームを中心に回っていたと言っても過言ではありません。ただ、電ファミが発表した資料の目次を見ても、2018年の「クロスプラットフォームの到来」以降は、正直あまり話題になる材料がなくなりました。

小林:そうですね。モバイルゲームの市場が急激に立ち上がってきた時に、人材やサービス運営のノウハウが一気に底上げされましたが、それらがのちに様々な産業に伝播していった結果、「ゲーム産業」単体としてのプレゼンスは相対的に小さくなったかもしれませんが、あらゆるところに影響が遍在するようになったんでしょうね。

村上:2010〜2012年にかけてオンラインゲーム業界から学んだことは非常に大きいですよね。支配的なゲームのルールが違う地域でどう戦うか、また、その産業をどのレイヤーで攻めるか−コンテンツなのかアプリなのか、プラットフォームなのか−、この2つの観点での学びを、久しぶりに日本が経験した貴重な産業だったと思います。

小林:当時、まさに当事者としてそのど真ん中にいましたが、失敗は多かったものの、「これは流れを掴んでうまくいったな」という経験も多くありました。そうしたダイナミズムをじかに味わえたことは、経営者として、またこうしてスタートアップエコシステムに身を置く上で、大きな財産になったと思います。2010年代はそうした人材が一気に増えましたよね。

朝倉:2010年代前半の日本のソーシャルゲームやモバイルゲームは、良い文脈で語られないことも少なくありませんし、当事者として反省すべき点も多々あります。 一方で、当時から「数年後にはこういった急成長する市場を経験した人の中から、次の産業を作る人たちが出てくるのではないか」といった話はしていましたよね。

今、スタートアップの世界を見渡してみると、モバイルゲーム文脈でキャリアを築いた人が在籍していることが少なくありません。モバイルゲームという急成長市場は、エスタブリッシュメントの世界から新興産業への人材の大移動を促し、またそうした人材が急成長市場で鍛えられた後に、様々なスタートアップに散っていったということでしょうね。

小林:その意味では、市場の急成長を経験し、事業や産業の大きな変化を体感していく中で、スタートアップエコシステム全体が豊かになってきたのかもしれませんね。

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