INTERVIEW

【杉山全功】「檻のない動物園」を上場企業へ。上場請負人の経営論 Vol.1

2017.10.04

ザッパラス、enishを経営者として率い、東証一部上場企業にまで成長させた杉山全功さん。「上場請負人」として知られる杉山さんですが、ご自身のことを「1から90」に会社を成長させる経営者と捉えているそうです。 現在は「就職活動中」とおっしゃる杉山さんに、ザッパラスやenishでのエピソード、上場請負人としての考え、そして経営者としての原点であるリョーマの話をお聞きしました。

杉山全功(すぎやま まさのり)

大学時代に学生ベンチャー、株式会社リョーマに参画したことが経営者へのきっかけとなる。 2004年に代表取締役に就任した株式会社ザッパラスは就任2年目で東証マザーズに上場し、2010年には東証一部上場へと導く。同社退任後、2011年に株式会社enishの代表取締役に就任。就任後2年半で自身二度目となる東証一部への上場を果たす。 株式会社enish退任後は、株式会社日活、地盤ネットHD株式会社等の社外取締役を務めるかたわら、最近はエンジェルとして若手経営者の育成にも力を入れている。

(ライター:石村研二)

1から90に会社を成長させる「上場請負人」

朝倉祐介(シニフィアン共同代表。以下、朝倉):杉山さんは取締役としてこれまで10社以上の経営に関わってらっしゃいます。社長としてもザッパラス(2000年創業のモバイル向けコンテンツ制作会社)とenish(2009年創業のソーシャルアプリ開発・運営会社)で上場を経験されてますよね。どちらも創業メンバーではなく、サービスを開始した後の会社を成長させるというステージに関わってらっしゃいます。日経新聞に「上場請負人」として紹介されたこともありますが、杉山さんはまさに「プロの経営者」だと思います。現在「就職活動中」だそうですが、杉山さんはどのような基準で「この会社なら成長させられる」と判断されているのですか?

杉山全功氏(以下、杉山):僕は、会社を「1から90までなら持っていける」という表現をしています。会社は常に高みを目指していかなければいけません。その時々のベストは尽くすにしても、常に先があり、完成することはないという意味で「1から90」と表現しています。どんな会社であれば90まで持っていけるかというと、判断基準としては2つの要素があると思います。

1つは、その会社が戦っているマーケット自体に成長の余地があるのかということ。もう1つは、もともといるコアなメンバーたちがどのような役割分担をしていて、僕が入った時に役に立てる部分があるのかどうかです。別に過去の入社時にそういう明確な基準で図っていたわけではないんですが、今から振り返って思えば、そういう考え方をしていた気がします。

「檻のない動物園」から上場企業へ

朝倉:2004年にザッパラスの社長に就任されていますね。こちらはどのような経緯で関わることになったんですか?

杉山:創業者の玉置真理氏が、ダイヤルキューネットワーク(1989年から1991年にかけて事業展開していたベンチャー企業。ダイヤルQ2サービスを利用して情報コンテンツを提供していた。杉山さん以外にも多くの起業家を輩出した)の創業メンバーとして共に働いた仲だったんです。ザッパラスを作って3年目くらい経ったタイミングで社長を交代することになり、やってくれないかと声をかけてもらいました。

当時のザッパラスはいわゆるカンパニー制をとっていて、7つか8つの異なる事業をそれぞれのカンパニーが運営しているという状態でした。その中ではちょうどブームだったのもあって、iモード関連の事業が好調でしたね。他にも黒字の事業もあれば、赤字の事業もある、そんな感じでした。

朝倉:先ほどの判断基準に照らし合わせると、マーケットとして成長の余地があったというわけですね。会社の内部はどうだったんですか?

杉山:無茶苦茶でしたね(笑) 「檻のない動物園」という感じでした。「壮大なる実験場」というコンセプトで始められた会社だったので、それぞれのカンパニー長が好き勝手にやっていました。それで全ての事業が上手くいっていればいいんですが、当然上手くいっていないものもあって。なんと給料が自己申告制だったんですよ。取締役も自薦式で、「役員やります!」って言ったら「じゃあ来月からがんばってね」と言われて役員に就任するっていう状態。たいてい赤字の部署に限ってべらぼうな給料を取っていたりして、それほど高い給料をもらってないけど黒字を出しているカンパニーの優秀な人達はモチベーションが下がって辞めてしまうといった状態でした。

役員総入れ替えから始まった社長の仕事

杉山:社長として入ってすぐ、いろいろ面談をしたところ、上から代えないと駄目だということが早いタイミングにわかったので、当時いた創業者以外の常勤の役員全員に1ヶ月後に辞めてもらいました。現場は混乱するかと思いましたが、「やっと解放された」といった雰囲気で、社員には案外歓迎されましたね。その後で半年くらいかけて事業を整理し、社員も半分くらいに減ったのですが、就職先を斡旋したりしてなるべく混乱は起きないように進めました。

朝倉:役員を全員入れ替えるというのはかなり思い切ったやり方ですね。その後、どうやって会社を再構築していったんですか?

杉山:他の会社の場合もそうですが、事業面ではどこが伸ばしていくべきコアな部分なのかをまず見定めます。ザッパラスの場合はiモードの中でも占いに特化するのがいいと考えて、そこにフォーカスして他の事業は削って行きました。当時のカンパニーの一部には黒字事業もありましたが、集中と選択のためMBOさせて独立してもらいました。

組織の面では、リョーマで一緒だった松本浩介氏に来てもらって社員と直接関わる役割を負ってもらいました。もともとはもう少し後になってから合流してもらう予定だったんですが、荒療治しなきゃならなかったので早めに入ってもらったんです。代表が直接出ていけないような場面に代わりに行ってもらうという難しい役割も多く担ってもらいました。

組織には奥行きがあった方がいい場合があるんですね。フロントで現場に直接関わる人がいて初めて、その後ろで全体を見渡す人が活きてくるんだと思うんです。その意味では、松本とは良い役割分担ができたと思います。

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