COLUMN

慶應SFC准教授・琴坂先生と考える『経営戦略原論』

2018.07.29

社会科学としての経営戦略と、実学としての経営戦略は別の方向性を向いているのではないかといった問題意識をベースに論旨を展開する、慶應義塾大学 湘南藤沢キャンパス(SFC)准教授 琴坂将広先生の『経営戦略原論』。 単純な実学からスタートした経営戦略が経済的、社会的、そして心理的なアプローチも取り入れ、急速に進化を遂げている様子を語ります。 本稿は、Voicyの放送を加筆修正したものです。

(編集:箕輪編集室 近藤佑太、高橋千恵、篠原舞)

ダイヤモンド社サイトに掲載され、東洋経済新報社から出版される経営戦略の書

朝倉祐介(シニフィアン共同代表。以下、朝倉):慶応SFC准教授、僕にとってはマッキンゼーの先輩でもある琴坂さんにいらしていただきました。よろしくお願いします。

琴坂将広(慶應義塾大学 湘南藤沢キャンパス(SFC)准教授。以下、琴坂):こんにちは、琴坂です。慶應義塾SFCにて教員をしています。よろしくお願いします。

朝倉:今回、琴坂さんの新しい本を出されたんですよね。

琴坂:はい。『経営戦略原論』という本を出しました。

朝倉:『経営戦略原論』ですか。

琴坂:いわば、ド直球ど真ん中の題名ですよね。全く飾り気のないタイトルになりました。

朝倉:だいぶハードな感じですね。

琴坂:タイトルは中身が完全に固まってから決まったのですが、まさに内容が経営戦略の最も中核的な部分を網羅的に洗っているので、自然とこのタイトルに収斂しました。

朝倉:これはどちらの出版社から?

琴坂:東洋経済新報社(以下、東洋経済)です。東洋経済は、経済学や経営学ではおそらく一番歴史と伝統のある出版社だと思います。

朝倉:だいぶ硬派な印象の本ですけど、どういう内容なのか教えていただけますか?

琴坂:『ハーバード・ビジネス・レビュー』という経営学の雑誌があるんですけども、去年そこのオンライン版で経営戦略を題材に連載を担当していました。 14回ほどの記事を1年半ぐらいにわたって書き続けたのですが、それをベースにして、それをかなり練りこんで、他の研究者の方々や、朝倉さんをはじめ実務家の方々にもお読みいただいた上でさらにインプットをいただき、3割、4割くらいを加筆して最終的に作品としてまとめたのがこの本になります。

朝倉:なるほど。けれど、『ハーバード・ビジネス・レビュー』はダイヤモンド社(以下、ダイヤモンド)じゃないんですか?

琴坂:そうなんです。実は連載を担当する事をお引き受けする時点で、元々東洋経済さんと議論を進めていた経営戦略の本の草稿としても良いか相談していました。その上で、連載はダイヤモンド、書籍は東洋経済という布陣で了承いただいた次第です。

朝倉:ダイヤモンドのオンライン媒体で連載していた内容を東洋経済で出すという。

琴坂:そう、かなり珍しいケースですよね。しかも、本書の出版後は『ハーバード・ビジネス・レビュー』のWebサイトになぜか東洋経済の本のリンクが貼ってあるという、特例処置をして頂いています。

朝倉:薩長同盟みたいなことが実現しているんですね。

琴坂:ハーバードビジネスレビューさんとしては、かなり力を入れた原稿を掲載し続けることができるということで、多少は価値を感じていただけていると思います。現に、発表からもう一年とか経過している記事が、今でもかなり頻繁にアクセスランキングのトップ10に登場していますので、多くの方に読んでいただけている記事になっているようです。東洋経済さんとしても、ハーバードビジネスレビューという一流の媒体での掲載によって評価に晒された内容を書籍に出来るという点は、評価いただけたのではないでしょうか。あくまで私の私見ですが。

朝倉:なるほど。

琴坂:朝倉さんの『ファイナンス思考』と私の『経営戦略原論』で対談した記事(前半後半)もダイヤモンドさんには、朝倉さんの書籍だけではなく、私の書籍も紹介いただいていますよね。懐の深いダイヤモンドさんには感謝の限りです。

社会科学としての経営戦略と実学としての経営戦略には違いがある

朝倉:なるほど。内容について詳しく教えていただきたいのですが、「そもそも経営戦略って何?」という疑問がありますよね。「戦略」という言葉の定義は十人いたら十通りあるんじゃないかと思います。 僕は前職で、「サービスをどう作るか」「どのようなコンセプトでサービスを発展させるか」といったレイヤーの議論が「戦略」という言葉で共通言語化していたという現場に出くわした経験があります。 このような共通言語化が為されている環境だと、競合関係がどうだとか、マーケットがどうだとか、それに合わせて自社はどういったプロダクトを提供していくのかといった議論が「そんなことは戦略じゃない」と言われてしまうわけですよ。これってただの3Cだし、極めてシンプルな戦略の議論だと思うんですけどね。 「戦略」という言葉がフワっとしていて、いかようにも捉えられるフレーズだからこそ、人によって解釈が違うんだなということを知るという点で新鮮な体験だったのですが、こうした解釈の幅を踏まえて、「そもそも戦略って何なのか」と思うわけです。

琴坂:まさに仰る通りで、経営戦略って話をすると、受け取るものが人それぞれ全然違うんですね。

朝倉:そうですよね。

琴坂:実は、この本の最初の章はそれを話しています。第一に社会科学としての経営戦略と実学としての経営戦略って全然違うんですよね。

朝倉:社会科学としての経営戦略と実学としての経営戦略。

琴坂:そう。これ(Voicy)を聞いている方々は、実務家の方々なので経営戦略というとどうやって売り上げや利益を上げるかということを考えると思います。どのような経営チームを作ろうか。価格をどう決定しようか。どのようなプロダクトをどう提供すれば良いだろうか、というような実務に直結することが関心の中心かと思います。 一方で、研究者として経営戦略を捉えるということは、「経営という行為とそれを行う組織と個人」の本質を明らかにしようとする行為の一環なのです。知りたい事は、普遍的な法則性で有り、多数の個体に時間を越えて当てはまる一定のパターンです。経済学が経済の本質を探究し、社会学が社会の本質を探究するように、経営学、そしてその一領域である経営戦略は、経営戦略という言葉が示す概念の本質を探究しているのです。 私自身も過去には小さな会社を経営したり、日本だけではなく、世界の様々な国で経営コンサルタントもしていたりするので、長い間、学者の書く経営戦略の本は全然役に立たないなとか、つまらないなと思っていました。ただ、オックスフォード大学の博士号を取得する過程で、ようやく、社会科学としての経営戦略という存在に気づきました。その結果としての、社会科学としての経営戦略と、実学としての経営戦略、その二つを融合させることをやろうとしたのがこの本なんです。

朝倉:なるほど。 実学としての経営戦略という意味で言うと、今日も我々はラクスルの取締役会に出席していて、「こうやって成長していこうぜ」という話をしていたわけですが、それとは違った視点で社会科学としての経営戦略があるということですね。 以前に堀江貴文さんと一橋大学の楠木建先生が「経営学なんて役に立たないじゃないか?」といった議論をしていらっしゃいましたが、それと同じ話なのかなと。

琴坂:ほぼ同じ議論かと思います。求めるもの、探求するものが異なるので、かなりかみ合わない議論になってしまいます。社会科学としての経営戦略は、目先の現象に直接的に役立つようには作られていないです。作りたいという欲求があるとしても、その試みはかなり難しい。一方で、個別具体的で、詳細な検討の上に作られた特定の戦略が、他の組織にもそのまま応用可能である可能性もかなり低いのが事実です。この垣根はかなり高い。

朝倉:ではお尋ねしますが、経営学やここで書かれている「経営戦略」は実際のビジネスで役立つのですか?

琴坂:使い方を間違えなければ、間違いなく役立ちます。それは実学としての経営戦略も、社会科学としての経営戦略も同様です。必要なのは、どのような背景が存在してその考え方が生まれたのか、それはどのように使う事を前提として設計された考え方なのかをしっかりと理解した上で、自社の状況に応用し、時には改変して利用する事です。 例えば、経営戦略フレームワークってたくさんありますよね。ブルーオーシャン戦略とか、リーンスタートアップとか。それらも、どれだけ有名であるからと行って、単に信じているだけじゃ駄目です。自分の中で実務家としての軸を持った上でリファレンスポイントとして使うとか、定石として使うとか、自分の足りなかったピースを理解するというように自分のポリシーを持っていれば役に立つはずです。本書でも、この理解に基づいて、どのように用いれば良いかを詳細に解説しています。

朝倉:理論というのは高度に抽象化されたものですからね。

琴坂:経営の、特に社会科学としての経営戦略というのは、出来るだけ幅広いものを説明できるようにしようとしています。けれど、実学としての経営戦略は出来るだけそのケースに最適なものを作る必要があるので、そもそも別の方向を向いています。それを理解しないとお互いが理解できないし、どちらがどちらかすら分からなくなってしまう。 さっき朝倉さんが言われた経営戦略のズレの要因としては、もちろんレイヤーの違いというものもあります。一言で経営戦略と言っても、単にプロダクトを作るというようなすごくミクロな話もあれば、5兆円とか8兆円くらいの企業が事業をどう変えるかみたいなすごく大きな、漸進的な話もありますし。

朝倉:そうですよね。「戦略」のレイヤーって見る人によって違っていて、サービスを開発する人にとってみれば、コンセプトをどう考えるかって話が戦略そのもの。サービスレイヤーの戦略ですよね。 それから一段階抽象化すると事業戦略というものがあるはずで、サービスの戦略に基づいてどうやって事業としてマネタイズしていくかとか、どのように競合優位を保つかを考えていかなければいけない。 さらにもう一段階上がると、会社としてどんな事業を運営しながら、マーケットに対してどうやって価値を提供していくかという会社経営のレイヤー感もある。

経営戦略とは、悪く言えば「洗脳」、良く言えば「共感」

琴坂:この本の後ろの方で経営戦略を浸透させるということを取り扱っているのですが、最近の経営戦略で面白いのが、昔みたいに数字で戦略を作っていくところではないことが注目を集めているということです。悪く言えば洗脳する、良く言えば共感してもらうという。それをどうやって進めるかということに多面的な探求が進んでいます。

朝倉:なるほど。行動経済学のような観点ですか?

琴坂:そうですね。これまでの経済学は理性的な人間を前提にしているので、数字で説明することができました。けれど今はヒューリスティックス、バイアスや直感というようないわば人間的な要素をどう取り入れるかという議論が多方面で探求されるようになってきました。これは経営戦略においても例外ではありません。そういった従業員とか経営陣の直感とかバイアスとか、属人的な要素をどう理解し、どうガイドしていけばいいのかを考えることがすごく重要になってきています。

朝倉:実際に経営する立場になってみれば、経済学や経営学の観点ももちろん重要なんだけど、学問領域で一番実用性があるのって、心理学なのではないかと思いますよね。

琴坂:少なくとも、多様な視点から経営を眺める事が必要となりますよね。経営戦略も元々、単純な実学からスタートして、経済的なアプローチ、社会的なアプローチや心理的なアプローチも入れて、すごく進化してきています。 実はこの本も厳密に参考文献をつけていて、200以上の文献を引用しています。そして、経営学または経営戦略を学問としてやった人間じゃ書けないものを意識して作った作品です。考え方には多様性があり、過去には膨大な研究と主張の積み重ねがあります。自分の主張を持つことも重要ですが、他者の視点も含めて、様々な考え方を自己に取り組み、より客観的な視点から現実を眺めることが出来る視座が必要になると思っています。

朝倉:なるほど。それでは、最後に一つ聞かせてください。例えば理論の洗練具合で見ると、ファイナンスの理論って経済活動を取り巻く考え方の中では非常に美しいじゃないですか。ブラックショールズ然り、市場効率仮説然り。 それに対して戦略論とかって、「一個ケースを持ってきただけじゃん。N数少ないな」って言われてしまうことが多々あると思うのですが、経営学や戦略論は科学たり得るのですか?

琴坂:科学たり得ます。少なくとも、日々絶えず、科学たり得るために驚くべきほどの努力を払っています。30年前までは少しインタビューして、それをもとに事例研究をするだけで論文にもなりました。今はそれを超える実験室的な技法や、統計手段を活用したものも含めて、様々な手法が用いられるようになってきましたし、それらも日々進化してきています。 それが、一般にうまく理解されていない。日本語の文献がちゃんと入ってきていないということがすごく問題だと思っています。一部の例外として、例えば早稲田大学の入山先生の『世界の経営学者は何を考えているか』や『ビジネススクールでは学べない 世界最先端の経営学』、そして早稲田大学の井上先生の『ブラックスワンの経営学』など、少しづつそうした文献は出てきています。私の前作の『領域を越える経営学』もその一環です。 こうした一連の取り組みの一環として、この『経営戦略原論』は、経営戦略の理解の土台に必要な基礎的な素養を全て入れ込んだつもりです。本書を契機にして、また本書の参考文献を見ていくことから科学となりつつある経営戦略というものを皆さんにも理解してもらいたいなと思っています。

朝倉:経営戦略という研究テーマが科学たり得るということを示そうとしているんですね。かなり志の高い内容の本ですね。

琴坂:高いですよ、「原論」ですからね。

朝倉:結構力入ってますよね。

琴坂:500ページあります。

朝倉:500ページか(笑)。

琴坂:しかも2千円、たったの2千円ですよ。戦略的価格設定!(笑)

朝倉:『経営戦略原論』、皆さん是非お手にとって下さい。

朝倉 祐介

シニフィアン株式会社共同代表 兵庫県西宮市出身。競馬騎手養成学校、競走馬の育成業務を経て東京大学法学部を卒業後、マッキンゼー・アンド・カンパニーに入社。東京大学在学中に設立したネイキッドテクノロジーに復帰、代表に就任。ミクシィ社への売却に伴い同社に入社後、代表取締役社長兼CEOに就任。業績の回復を機に退任後、スタンフォード大学客員研究員等を経て、政策研究大学院大学客員研究員。ラクスル株式会社社外取締役。Tokyo Founders Fundパートナー。