COLUMN

ポストIPOに向けてスタートアップ経営者が考えるべき備え

2017.10.28

上場することは辛いことなのか

 米国の著名な経済ジャーナリストであるアンドリュー・ロス・ソーキン氏が、The New York Times紙に“Fixing the ‘Brain Damage’ Caused by the I.P.O. Process”(邦題:「株式公開は地獄なのか」)と題した論争的な文章を寄稿したのは今から1ヶ月前、ブルーボトルコーヒー社がネスレ社によって買収された2017年の9月のことです。  そこでソーキン氏は、資本市場において株式公開以外の選択肢を作ろうとする野心的な取り組みを紹介しつつ、現在の株式市場とIPOプロセスが破綻してしまっていると指摘しています。

 この見解にどこまで賛同するかはさておき、こうした資本市場を巡る議論が米国で巻き起こるようになった背景には、資金の過剰流動性によって、VCだけでなくMutual Fundなどの資金までもが非上場スタートアップに流れた結果、Uberをはじめとしたユニコーン企業が多数出現したといった事情があります。

 翻って日本のスタートアップ群に目を向けてみると、米国に比べるとまだ圧倒的に規模は小さいものの、未公開企業への投資額は年々伸び続けている一方で、「ユニコーン」と呼ばれる企業価値1,000億円クラスにまで到達したスタートアップは、いまだにメルカリ社のみに留まっています。また、マザーズという世界的に見ても早い段階で上場が可能な市場を有していることから、時価総額の小さい企業の新規公開が多く、日本のスタートアップ事情は米国のそれとは大きく異なった様相を呈しています。  一つの例として、日本の新規株式公開の半分強を占める東証マザーズへの新規上場について、上場時の平均資金調達額の推移を比較すると、2015年が10.6億円(61社)、2016年 7.5億円(54社)、2017年上期 7.9億円(22社)と、その規模感にあまり大きな変化は見られません。

「スモールIPO」の何が問題なのか

 そうした状況を踏まえ、「スモールIPOは是か否か」という議論を耳にすることも、ここ最近は多くなりました。 明確にスモールIPOの是非をテーマとして挙げた議論としては、2017年1月にNewsPicksで公開された佐山展生氏、堀江貴文氏、楠木建氏による鼎談(イノベーターズ・トーク 新春大放談 #5「スモールIPOに意味ある?NewsPicksの未来」)が記憶に新しいでしょう。新春から舌鋒鋭く語る三人の言説は面白くないはずがないのですが、私にとって印象深かったのは、下記の点でした。

楠木:それこそ株式市場というのはマーケットのなかのマーケットですから、もしその会社がダメだったら、株価も下がるし投資家も買わないというだけの話。

出所:イノベーターズ・トーク 新春大放談 #5「スモールIPOに意味ある?NewsPicksの未来

 上場企業で経営チームの一員を務めた者として私も強く感じますが、これはまさに上場することによる大きな変化を端的に示した指摘と言えます。言い換えると、「上場すると会社は銘柄になる」のです。

 「銘柄」になるとは具体的にはどういうことなのか。それを理解するために、上場前と上場後の投資家の目線の変化をまとめたのが下記のスライドです。

 単純化してまとめていますが、会社の株式が「買いたくてもなかなか手に入らなかったもの、買うことができなかったもの」から「いつでも買える銘柄」へと変わるというのは、非常に大きなポイントです。  私が前職時代にIRをしていて強く感じたのは、「別に無理してあんたのところに投資しなくてもいいんだけど」という投資家のスタンスです。それが畢竟、発行体企業と投資家とのパワーバランスの変化に繋がります

 もう一つ、上場後に起こりがちなのが、企業と機関投資家の思考プロセスの違いです。

 このスライドは、私の前々職のコーポレイト・ディレクション社で考案されたものですが、企業側と資本市場のズレを端的に示したものだと思います。  投資家側には「君たちみたいな会社は他にもいるだろう」という発想が根底にあります。一方、企業側は「自分たちはこういうことができる」ということを中心に、自社の展望を語りがちです(特に新興企業ほど、この傾向が顕著であるように思います)。

 このようなズレは、上場後ほどなくして多くの経営者が実感することです。しかしながら、こうしたズレが明文化して語られることは、今までほとんどなかったのではないでしょうか。せいぜい起業家たちが集まる会合で、「上場してどうやったん?」といった話題が出る程度です。

上場“後”に目を向ける

 改めて言うまでもないことですが、上場は一つのステップであり、企業にとってゴールではなく一つの手段です。そうであるならば、「上場に向けて何をしていくべきか」について考えるのと同じぐらい、「上場した後に何をするか」といった点にも目を向ける必要があるはずです。

 その点では、上述したNewsPicksの新春大放談で、堀江氏が上場後のプレッシャーについて開陳していたのは非常に印象深いものでした。

堀江:まず上場すると、すごく短期利益を求められます。 あの圧力に抗うには、鉄のハートが必要ですよ。上場企業経営の経験者として言うと。 —(中略)— みんなに「ハートが強いよね」と言われる僕でさえ、プレッシャーでしたから。

出所:イノベーターズ・トーク 新春大放談 #5「スモールIPOに意味ある?NewsPicksの未来

 このプレッシャーは、私自身も確かに感じたことがあります。前職の取締役だった頃、業績が振るわずに株価が低迷し、株主総会で名指しで非常に辛辣なお叱りを受けました。その時の迫力は今でもはっきり覚えています。

 私の場合は、明確に業績不振と株価低迷を直接的に株主の方から糾弾されたわけですが、上場を経験した経営者の方々とお話しする中で、実は、上場後のプレッシャーというのはそうした株主からの追及といった形ではないものの方がより強く感じられるのではないかと考えるようになりました。

 下記のスライドは、「上場後どういったことが起こり得るか」「経営者はその難局にどう立ち向かうべきか」といったことを、私自身の経験と、私に近しい経営者から伺った話を元に取りまとめたものです。限られた範囲の情報とはいえ、上場後にどういった変化が起き得るかということを企業サイドの視点からまとめたものは非常に少ないのではないかと思います。この資料が将来上場を企図する企業の方々にとって何らかのご参考になれば幸いです。

先日Fringe81さんと共同で開催したIPO勉強会の際の資料がベースになっているため、ややくだけた表現になっております。今後も同様のイベントを開催してまいりますので、ご関心のある方はぜひSignifiant StyleのNews Letterにご登録ください(本ページの最下部より登録ができます)。

最後に

 安倍政権の成長戦略として、“未来投資戦略2017”の中においては、「イノベーション・ベンチャーを生み出す好循環システム」が明確に謳われており、新興企業の創出をいかに活性化するかについて多面的に語られています。ただ前述のとおり、日本は他の先進諸国に比べ、株式公開のハードルが相対的に低いことを考慮すると、ベンチャーの「創出」とは単に新興企業を上場させることに留まらず、上場をステップとしてさらに事業を発展させ、産業や市場に大きなインパクトをもたらす企業を生み出すことを企図しているものと捉えるべきでしょう。  今後、日本のスタートアップ・エコシステムがより大きなものへと発展するためにも、非上場と上場、スタートアップと資本市場とを横断する議論が盛んに行われることを切に願います。

小林 賢治

シニフィアン株式会社共同代表 兵庫県加古川市出身。東京大学大学院人文社会系研究科修了(美学藝術学)。コーポレイト ディレクションを経て、2009年に株式会社ディー・エヌ・エーに入社し、執行役員HR本部長として採用改革、人事制度改革に従事。その後、モバイルゲーム事業の急成長のさなか、同事業を管掌。ゲーム事業を後任に譲った後、経営企画本部長としてコーポレート部門全体を統括。2011年から2015年まで同社取締役を務める。 事業部門、コーポレート部門、急成長期、成熟期と、企業の様々なフェーズにおける経営課題に最前線で取り組んだ経験を有する。